劇団若獅子30周年 新国劇100周年

今日のつぶやき
劇団若獅子30周年 新国劇100周年

本日は、銀座の新橋演舞場へ劇団若獅子30周年記念公演を観に行ってまいりました。本日の演目は「国定忠治」に「月形半平太」でした。

劇団若獅子は、1917(大正6)年に沢田正二郎らによって創立された劇団新国劇を母体とした劇団です。新国劇は、沢田の「民衆と握手せよ、而(しか)して片足のみは不断に民衆より半歩を進めよ」という「演劇半歩主義」を唱え、歌舞伎と新劇の中間にある国民演劇をめざしたといわれています。沢田は残念ながら、1929(昭和4)年に37歳の若さで急死してしまいまますが、その後を継いだのが辰巳柳太郎と島田正吾でした。ただ、お二人が高齢になると、1987(昭和62)年に解散します。これを継いで笠原章さんらによって立ち上げたのが劇団若獅子でした。ですので、今年は新国劇100周年でもありました。解散してから30年ですから、もはやその名前の知る人も少なくなってしまいましたが、いわゆる「チャンバラ」という言葉も新国劇がリアリズムに徹した剣劇をめざしたからでした。

本日の演目、「国定忠治」と「月形半平太」は、新国劇の十八番です。国定忠治は、上野国国定村に実在した侠客を描いたもので、「赤城の山も今宵を限り、かわいい子分のてめえたちとも別れ別れになる門出だ」という名台詞で有名です。また、月形半平太は、幕末の今日とを舞台に長州藩士の月形が勤王の大義のために身命をかけるのですが、これに芸奴とのラブロマンスが絡むことで大人気をとりました。「月様雨が…」「春雨じゃ、濡れていこう」というのが、これまた名台詞です。

それにしても、時代劇が厳しい中(ちなみに新国劇も若獅子も時代劇ばかりではなく現代劇や新劇なども上演しています)、こうした伝統を受け継いでいく若獅子そして笠原さんにエールを送らないではいられません。時代劇の所作どころか、江戸の昔も遠くなってきました。

そう言えば、前回、新橋演舞場で「国定忠治」が上演されたのはちょうど10年前、若獅子20周年だったのですね。この時、忠治の敵役の山形屋を演じたのが緒形拳さんでした。今回は山形屋を伊吹五郎さんが演じられ、市川猿之助さんも「月形半平太」に芸奴役で出演されていました。次を…と、願わずにはいられません。

※終演後の笠原章さんと

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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