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何が学びを妨げるのか その7 戦後の世代論を教育史的にみる

これまで6回にわたり、東海大学教育開発研究センター第2回教育開発フォーラムの報告について説明してきました。そこで紹介した5つのグラフには、「○○世代」とそれぞれの時代で総称された若者たちの区分を入れていました。最後にそうした戦後の各時期の世代論について述べておきましょう。「○○世代」という言い方については、『広辞苑』などの辞書にすでに載っているものもあれば、マスコミやネット上で使われているものなどさまざまな媒体に登場するものもあります。こうしたものについては、ある意味、Wikipediaが圧倒的に強いですね。ただし、確定していない分、その分析も多分に試論的なものにならざるを得ないことをお断りしておきます。

ここでは目安として今一度、18歳人口と在学者数および進学率についての組み合わせグラフを掲示しましょう。

このような世代論を考えていく上では、もちろん政治や社会の動き、とりわけ経済状況とのすりあわせが重要となってくると思われます。

第1次ベビーブーム団塊の世代-1847(昭和22)年から49(同24)年は、それまで150万人から200万人で推移していた出生率が一気に250万人程度まで急上昇します。これが戦後における第1次ベビーブームで、この時代に生まれた人たちを「団塊の世代」と呼びます。これは俵屋太一さんが、1976(昭和51)年に、この世代の人生ドラマを描いた小説『団塊の世代』(文春文庫)が、そのまま流行語になったことに由来すると言われています(『ブリタニカ』)。また、この世代は、ビートルズに熱狂したことから、「ビートルズ世代」とも呼ばれています。かれらが18歳になるのが1965(昭和40)年~67(同42年)のことで、これが大学進学率の大幅な上昇に繋がっていることは、先にも書いたとおりです。

②全共闘世代-この団塊の世代と戦中生まれの世代=1941(昭和16)年~46(同21)年生まれの世代は、青年期に大学紛争に身を投じた学生が多くいた時代で、「全共闘世代」とも呼ばれています。全共闘は「全学共闘会議」の略です。だいたい1965(昭和40)年から70年代初頭ですね。全共闘は、それまでの学生運動とは違い、自治会や政治的党派を母体とせずセクトを持たない学生を中心とした闘争組織でした。全国の200以上の大学のほとんどに結成され、学生の約15%が運動に参加したと言われ、「怒れる若者たち」の時代ともいわれました。その背景には、安保反対運動やベトナム戦争反対運動などがあり、学生運動自体は世界的な傾向でした。アメリカはコロンビア大学における1968年の学生運動を描いた映画「いちご白書」が公開されたのが、1970年6月のことでした。

この時代は、戦後の荒廃から日本が大きく立ち直る「高度成長」「高度経済成長」の時代でもありました。高度経済成長は、1955(昭和30)年頃から始まる日本経済の高度成長期で、50年代前半までに戦前の水準まで復興を遂げた日本経済は、1955年前後から新たな成長軌道に突入します。以後、1961(昭和36)年・62年におよぶ時期を第1次高度成長と呼び、64年(昭和39)年・65年の不況を抜け、1973(昭和48)年の第1次石油危機オイルショックまでを第2次高度成長期と呼びます。1964年の東京オリンピックは、第1次高度経済成長の世界的なお披露目の場でもありました。そして第2次高度経済成長が終わる以前には、学生運動も下火になっていました。

③シラケ世代・三無主義・四無主義-第1次ベビーブームが去ると、また18歳人口は減少に向かい、1970年代の半ばから1980年代の半ば(昭和50年頃~同60年頃)は、再び150万人台から170万人台あたりで横ばいが続く。先にも述べたようにオイルショックの影響に、さらにアメリカ経済の弱体化とインフレーションを背景に固定相場制から変動相場制へと世界経済が移行することにより、高度経済成長も終焉を迎え、学生運動も下火になっていた。「怒れる若者たち」の熱い時代と打って変わって、学生たちの性質もずいぶんと落ち着き、保守的になっていった。この頃の学生を称して「シラケ世代」という。結局、学生運動も圧力に屈する形で沈静化することで、無気力無関心無責任三無主義もしくはこれに無感動を加えた四無主義(無気力・無関心・無感動を三無主義という場合もある)が学生たちひいては青年たちの性質を表わす表現として定着した。だから「シラケ世代」である。年代的に言えば、1955(昭和30)年ただし、それだけに内面的な情緒性や感傷といったものに大きく左右される世代でもあった。感受性の時代ともいえよう。

④モラトリアム世代-シラケ世代に関する表現として、「モラトリアム」という表現もあります。モラトリアムは、通常は、執行猶予のことを言いますね。そこで、学生時代を社会に出る前の猶予の期間とみるわけです。ここには、学生運動時代からの社会=罪という感覚があることも否めません。テレビで中村雅俊さん主演の「俺たちの旅」という番組がありました。「これが青春だ」みたいな熱い番組から、このようなもやっとした「現実」感覚に移り変わっていった世代と言ったらいいんでしょうか?「俺たちの旅」が1975(昭和50)年の放送ですから、18歳で1975年といえば、1957(昭和32)年生まれくらいですね。シラケ世代とはちょっとずれています。いずれにしても、私のはこれらの世代にずっぽりと当てはまるのでした。

⑤新人類世代-1986(昭和61)年の流行語大賞の金賞は「新人類」という言葉でした。従来の若者たちとまったく価値観の違う若者たちで、よく言えば個性的、悪く言えば自己中心的とでも言ったらいいのでしょうか?代表格として、当時、プロ野球界で隆盛を誇っていた西武ライオンズの工藤公康さん、渡辺久信さん、そして清原和博さんなどがいます。ですから年代的には、1963(昭和38)年から1967(昭和42)年頃に生まれ、1981(昭和56)年から1985(昭和60年)頃に18歳を迎える年代です。

⑥バブル世代-新人類世代は、ちょうどバブル経済の時期に青年時代を迎えた若者たちになります。バブル経済は、バブルは泡のことで、何ら実質的な経済発展の保証もないのに、株価の暴騰や狂乱物価による土地の高騰などの経済状況だけが膨れ上がった状態をいいます。バブル経済の端緒は、1985年9月にニューヨークのプラザホテルで開催された先進5か国による蔵相会議(G5)で、ドル高を是正するために為替市場に協調介入する旨の声明が出されました。為替市場を自由に変動させる自由変動相場制から、状況によって介入を厭わない管理相場制へと移行する歴史的な転換点となりました。これを「プラザ合意」といいます。その結果ドル相場は一気に暴落し、円高の急騰にともなって内需拡大が一気に進み、まさに泡のようにお金が湧き出るような感覚にとらわれていきます。新人類世代は、このバブル世代と重なっていきます。バブル経済の崩壊が1991(平成3)年ですから、この頃に18歳となった世代は、1967(昭和42)年年から1973(昭和48年)頃に生まれた世代ということになります。

⑦第2次ベビーブーム・団塊ジュニア世代-さらにこの頃、1989年(平成元)年から1992(平成4)年には、第1次ベビーブームの子供達、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる1971(昭和46)から74(昭和49)生まれが18歳に達します。第2次ベビーブームの時代です。1886(昭和61)年頃から再び上昇し始めた18歳人口は、210万人近くまで増えます。

1980年代から1990年代初頭までは、こらら新人類世代、バブル世代、第2次ベビーブームが微妙に重なり合いながら進んでいきます。バブル経済の展開を含めて社会の構造も価値観も大きく変わっていった時代と言えるでしょう。さらに、この最後の方、第2次ベビーブームの時代にかけては、進学率そのものそう大きく上昇しないものの、18歳人口の増加に支えられて、大学志願者も大きく上昇します。この中でもとくに1986(昭和61)年から1992(平成4)年までの7年間は、後に「ゴールデンセブン」と呼ばれています。現在の状況からすれば、最後の大学進学大活況気だったわけで、それだけ受験競争も厳しい時期でした。

⑧ロストジェネレーション世代・就職氷河期世代-バブル経済が崩壊したのは、1991(平成3)年のことでした。まぁ~バブルとはあんまり関係のない生活をしていましたが、考えてみれば、どこの自治体でも「自治体史」を作っていて、仕事には事欠かなかったので、そうした意味では恩恵を受けていたのかも知れません。そうした実感からすると、すぐにバブルが終わったというイメージはあんまり感じませんでしたね。でも、振り返ってみて、バブル経済が崩壊した後は、当然のことながら経済が冷え込んで、社会的にもマイナスイメージが全体を覆う時代が来ます。その後は、失われた10年そして20年と呼ばれるようになります。経済が冷え込むと求人が大幅に減っていきますから、新卒者にとって受難の時代が続きます。就職氷河期の時代です。

就職氷河期は、バブル崩壊後で有効求人倍率が1を切った1993(平成5)年から2005(同17)年を第1期とします。1975(昭和50)年から1987(同62)年生まれですね。そこからITバブルや輸出産業の好調もあって一端持ち直しますが、リーマンショックの後、2010(平成22)年から2013(同25)年に再び不況の波が押し寄せ、とくに大卒者を中心に再度、就職氷河期に突入します。この時期は超就職氷河期とも呼ばれていました。1982(昭和57)年から1985(同60)年生まれの世代ですね。上のグラフをみていただいたら暦然ですが、この間も大学数の増加にしたがって大学進学率は上昇し、在学者数も上昇していきますから、就職がより厳しくなっていくのも、それが大学の新卒者に顕著に表われるのも当然のこと言えましょう。そしてこの世代は、ロストジェネレーション(失われた世代)とも言われていきます。ロストジェネレーションは本来、一次大戦後に現れた一群の若いアメリカ作家たちのことを言います。戦後への幻滅から出発し、懐疑に傾いていった、ヘミングウェー・ドス=パソス・フィッツジェラルド・カミングスらで、アメリカの女性作家G.スタインが命名したと言われています。それを援用したわけですね。

⑨ゆとり世代-2002(平成14)年の学習指導要領の改正による、いわゆる「ゆとり教育」によって学んだ世代です。授業は月曜日から金曜日までの5日間で、完全週休2日。授業内容は「詰め込み教育」の脱却から大幅に削減され、考える力、主体的に学ぶ力などを目的としますが、実際には学力の低下が大きな問題となっていきます。1987(昭和62)年生まれから2004(平成16)年生まれですから、バブル経済の後半に生まれ、その後は失われた時代に入っていきますから、基本的にデフレ思考にあると言われいます。反面、IT時代の成長期にあたっていて、インターネットの洗礼はもとより、ポケベルから携帯電話、スマートフォンなどの情報機器やSNSに本格的に接した世代になります。彼らが18歳になるのは、2005(平成17)年から2024年までです。年代的にいえば、まだ6年くらいはこの世代が続くわけですね。ちなみに上の娘は1987年生まれですから、まさにゆとり第1世代になるのです!

⑩さとり世代-2013(平成25)年に「さとり世代」という語が流行語大賞にノミネートされました。これは「ゆとり世代」という言葉には、たぶんに差別的な意味が含まれているとして、ネット上で代わりに使われ始めたのが「さとり世代」で、「ゆとり」は大人側がつけた名称だが、「さとり」はゆとり世代といわれることへの反発から、若者たちが使うようになった言葉とだと言われています。ゆとり世代と性質的には重なっていますので、積極性に欠ける、熱がない、他人との関わりが薄いといった特徴を「さとり」と自覚することに特徴があるといえるでしょう。だいたい2011(平成23)年頃から使われ始めたと思われますから、年代的には1993(平成5)年生まれ以降ということになるでしょうか?下の娘はこちらのカテゴリーにも。入りますね

これらの世代論としての区分はあくまでも目安ですし、生まれも、その期間についてももちろん異論もあります。そもそも世代論というのが成り立つのか?とくに教育史の指標として考えられるかについては、まだまだ検討されなければならないと思いますが、とりあえず、フォラームを通じて提起してみたのでした。実際の報告時間は20分でしたからずいぶんはしょっていますので、こちらで補足でした。

 

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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