戊辰箱根戦争 山崎の戦いの合戦場

今日のつぶやき
戊辰箱根戦争 山崎の戦いの合戦場

今日はユニコムプラザさがみはらの古文書講座最終日。それにしても昨日からやたら眠くて…。マッサージ器に座っていてもいつの間にか寝てしまって、やってもらったんだかどうなんだか…。

早めに着いたので、スターバックスでお茶しながらちょっと最後の準備をして、いざ出陣!でした。

さて、昨日の「箱根古戦場跡」、つまり「戊辰箱根戦争 山崎の戦い合戦場」の文字を翻刻します。なんて、これは『大磯町史』2資料編近世(2)の655ページから引用したものです。今回読んだ史料、慶応4年(1868)5月23日「官軍小田原表御出陣用向控」は、この『大磯町史』の史料No.241として649ページから翻刻されています。されていますと言うより、翻刻しました!いい史料ですからね、全文を翻刻しています。興味のある方はぜひご一覧ください。中里村(神奈川県二宮町)の名主が記録したものですから、戊辰箱根戦争に関する周辺村々のようすがよくわかります。その下にGoogleマップの空中写真を貼り付けておきましたので、位置関係も御確認ください。

「箱根古戦場図」には、「山崎」を赤丸で囲んでおきました。四角は三枚橋です。Googleの空中写真では、右上の赤いしるしの部分が山崎で、1番左のエンジ色の屋根が小田急線の箱根駅です。その間のT字の部分が「三枚橋」です。

三枚橋の上、長光山の下に「脱走一番隊」、三枚橋(早川に架かる橋)を超えたところ、石掛ケ山の下に「脱走二番隊」、その左に「脱走三番隊」が陣を構えていますね。長光山と石掛ケ山とそれぞれの陣のあたりが「戦争場」となっています。かなり圧縮して描かれていますが、箱根に行かれた方ならば、だいたいの察しはつくのはないでしょうか?

おかげさまで今回も5回の講座が無事に終わりました。1回目に時間を間違えて遅刻するという大失態を演じてしまいましたが(^_^;)熱心に受講していただいた皆さま、どうもありがとうございました。おかげさまで私も間違いなどを指摘していただいて、勉強になりました。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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