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戊辰の横浜 展示会をハシゴする

ハシゴするというのはちょっと大げさですが、ただ今、横浜開港資料館横浜市歴史博物館で「戊辰の横浜」という共通タイトルの展示会が開催されています。開港資料館には「開港都市の明治元年」、市歴博には「名もなき民の慶応四年」という副題がついています。開港資料館の展示会が「明治元年」、市歴博が「慶応四年」としているのも象徴的ですね。それ自体が展示の目的を示しています。昨日は、この2つの展示会を観てきました。とくに市歴博には別の目的もあったのですが、それはまた別の機会に…(^^)

開港資料館では、展示担当者の吉崎さんから説明をしていただきました。何よりこちらの展示会は、明治天皇の東幸(東京行幸)までの開港都市横浜を通覧していて、本当にバランスのよい展示だと思いました。とくに私個人として興味を引いたのは、新政府による横浜接収の後、佐賀藩が駐屯したと言うことと、負傷兵を治療する「横浜病院」についてでした。藩主鍋島閑叟による佐賀藩の近代化については、昨年の2月に佐賀で講演したこともあって、と言っても門外漢だったのですが、講演をするために勉強したことで、その先進性に注目する一方、幕末の政局には主体的に関与したとはどうも考えられないにも拘わらず、薩長土肥と称されたこと、その佐賀-肥前藩が横浜を管理したことに大いに興味を持った次第です。具体的なところを今後期待したいですね。

横浜病院についてはまったく存じませんでした。東北の戊辰戦争と横浜がこういう形で繋がっていたことに驚きました。東北地方の資料も展示されていて、こちらも今後の研究の展開に期待したいですね。もう一つ、興味を引いたのが、幕末に老中を務め、最後は箱館まで転戦した、備中松山藩主板倉勝静(かつきよ)の記録ですね。なかなか詳細な記録みたいですので、こちらは活字になることを期待したいです。もうなっているのかしら?展示されていた部分以降に、箱館における土方歳三の記録があるそうで、後半ではそちらを展示するとおっしゃっていました。新選組ファンの方は必見ですよ。

 

続いて訪れた市歴博では、担当の小林さん…の案内を期待したのですが、残念ながらお休みでした(^^;)かわりに井上副館長にご案内いただきました。と言っても、井上君は大学・大学院を通じた同級生です。もう家族ぐるみの仲です。

市歴博では、大政奉還から始まって、明治天皇の東幸までを横浜周辺の村々の動向について、多くの古文書から多面的に通覧されていました。まさに論文を書いたり、読んだりする感覚で観ていただければと思います。その分、ちょっと難しいかも知れませんが、博物館の展示というのは、こうした地道で膨大な、しかもしっかりとした考証によって行なわれているのだと言うことをぜひ知ってもらいたいですね。

ここでは、藤沢宿の名主堀内悠久の息子郁之助が描いたという東征大総督軍(官軍)の行列図と、同じ郁之助が描いたとこれまた言われている「札降りの図」いわゆる藤沢宿のええじゃないかを描いた図の本物を見ることができたのがよかったですね。この東征軍の図は、キャプションにあったように、まだまだ検討が必要かと思いますが、とにかく具体的で興味深い。絵巻になっていますので、会期によって見せる部分を変えるそうです。この最後の方には、「報国隊」「赤心隊」といった駿州の草莽隊が描かれています。このうち報国隊については、数年前に卒論で検討した学生がいました。彼の論文では、報国隊は神主を主体とした草莽隊なのですが、地元を出立する時は野袴に、武器は槍や弓で、ホラ貝を吹いていたのに、この図では歩兵隊の格好になってみな銃を担いでいる。しかもホラ貝から太鼓になっている。いつ、どこで変わったのだろうと疑問を投げかけていました。江戸に入る前に衣裳を買えたという証言はあるのですが、では誰が支給したのか、担当していた浜松藩?等々話し合ったことを思い出します。

「札降りの図」については、昨年度の卒論でええじゃないかについて研究した学生がいました。彼女の分析では、東海道を江戸に下っていくええじゃないかでは、まずは富者のもとに札が降り、貧者への施しを求めるというパターンが圧倒的に多いとのことでした。ですから、施しをしなかった富者は天罰・仏罰を受けるという話も多く伝わっています。この藤沢宿でも最初に札が降ったのは「蒔田」という本陣の家でしたし、これを描いた郁之助は宿名主の家系です。そこから施行が始まるのですから、まさしくこのパターンですね。そうした、口頭試問の際に副査の先生から、そうしたら「札が降る」という文言は、「ふる」という読み方の他に「くだる」という読み方もできるのではないかと指摘されて、なるほど!と思った次第でした。また、彼女の分析では、ええじゃないかの史料には「世直し」という文言はまったく出てこなかったと言っていました。興味深い指摘です。

でも、私がもっとも興味を持ったのは、私も少しかじっていますので、「農兵」に関する史料ですね。ここでは綱島農兵と川崎農兵を取り上げていました。とくに目を引いたのは、東征軍による鉄砲の接収という話でした。しかも農兵隊以外からも鉄砲を接収したそうです。その一部は報国隊とかに回されたのでしょうか?興味は尽きません。小林さん、農兵についてはもっとやってみたいとおっしゃっていますので、さらに今後に期待したいですね。

そしてもう一つ、武州橘樹郡長尾村(川崎市)の「鈴木藤助日記」の現物を見ることができたことも収穫です。現物で見ると、その文字の細かさに改めて驚かされます。これを翻刻された皆さんのご苦労に心から感謝したいですね。

幕末というとどうしても英雄の話になってしまいます。いわく時代を動かした、あるいは時代に翻弄された…。でも、そうした人たちの背後には多くの名も知れない民がいて、それぞれの日々を生きていました。そうした視点から歴史を見ることがもっともっと一般化して欲しいですね。

図録も充実しています。また、市博のNewsには、担当者の座談会も出ていますので、これもおもしろいですよ。

 

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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