江川文庫重要文化財指定記念並びに収蔵館建設発起人会


以前このblogで史料管理学演習の授業で扱う資料、伊豆国田方郡土手和田村文書(現・静岡県伊豆の国市韮山)について説明した際に、2010年から2012年にかけて当地の幕府代官であった江川家の文書(もんじょ)−江川文庫のうち、西蔵の史料整理を行なっていたことを書きました。これは江川文庫の資料を重要文化財に指定してもらうための調査でもあったのですが、6月19日(水)の官報告示で無事に指定されたということで、これを記念する会が、7月13日(土)に東京の学士会館で開催されました。またこの会は、江川文庫の収蔵庫建設を訴えていく発起人の会を兼ねています。

江川文庫の調査自体は、前御当主江川滉二氏の依頼を受けて、2002(平成14)年から始まったのだそうですが、この結果、整理した資料の総点数が約7万点で、刊行された史料目録が8冊、その総ページ数は2,935ページにも及ぶ量になっています。目録となったのは、古文書(こもんじょ)の他に、書画、典籍、写真、武器類、工芸品などでした。まさに質・量とも超がいくつもつくくらいの一級資料です。このうち、韮山代官江川家関係資料38,581点と、写真資料461点が重要文化財に指定されたのでした。でも、実はまだまだ未整理の資料が残っています。本当にすごい資料群です。

私自身の江川文庫とのかかわりは、そもそも大磯町史、小田原市史の編纂を担当していた時代に遡ります。はじめに訪れたのはもう20年ほど前になるでしょうか。大磯町史では、宿の財政について調べていまして、大磯宿の代官であった江川家の資料を調べる必要がありました。また、小田原では小田原藩研究の一端として、藩財政のことを調べていまして、これが江川代官所と深い関係があったものですから、これまた江川文庫の資料を調査しに行ったのでした。そしてこの大磯宿−小田原藩−江川代官所に関する研究は分かちがたく関連しています。これらについては、詳しくはいずれまたお話ししようと思いますが、とりあえず『小田原市史』の通史編近世と『大磯町史』6 通史編の近世をみていただければと思います。

江川家42代目、江川洋現御当主に承諾をいただきましたので、当日の様子を少しだけ紹介させていただきます。中世からの名族だとはいえ、「42代」というのは、さすがに凄いですね。

会はその現御当主洋氏のご挨拶から始まったのですが、初めてお目にかかってまずはびっくりしました。よく肖像画で知られている、幕末期の名代官江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)、そう坦庵公そっくりなのですね。実直そうで、ピシッとしたそのたたずまいも坦庵公はきっとこんな感じだったのではないだろうかと想像をかき立てるに十分でした。何よりしっかりとした意思で、父の後を継いで、江川家の資料を守ること、それもただ守るだけではなくきちんと整理した上で公開し、活用してもらおうとされているその思いが伝わってきて、すがすがしい気持ちになったものでした。

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人物_江川英竜

続いて、調査団長である前国立歴史民俗博物館長、東京大学名誉教授の宮地正人先生から「江川文化の文化史的価値」と題した講演がありました。先生の講演はいつも興味深くて、ちょっと安っぽい言い方ですが勉強になって、今回もいろんなことを学ばせていただきました。そのすべてをまとめるともうレポートになってしまいますので、ここでは2点だけ、とくに印象に残ったことを述べておきます。

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一つは中世期に韮山の地を領地として土着し、小田原北条氏の配下にあった江川氏が、近世期以降の三つの危機、すなわち(1)豊臣秀吉の小田原攻めへの対応から徳川家康の関東入部、(2)享保8年(1723)の代官職解職、(3)明治維新を乗り切って現在に至ったのか、それは領主的封建制を世界史的に考えていく上で格好の対象であるということでした。これについては「名族の生き延び方」という副題をつけてお話になったのですが、なるほど象徴的なタイトルです。

二つ目は、江戸幕府のもとでは一旗本という立場、それも代官という一吏僚にすぎない江川家の立場と、中世以来の名族で、しかも代々在地領主としても文化的素養も高かった江川家の自己意識との間には大きな葛藤があったと思われること、それだけにこれも第一の論点と関係しますが、その中で土着の世襲代官としての自らと自らの「家」をどのように位置づけていったのか、そこが重要だということです。そして、だからこそ、江川家は領民との間にも常に良好な関係をつくり、そうした関係を続けていけること、さらに手付や手代といった家臣たちに主体性をもって仕事をさせながら、少ない人数でも支配地を治めていけることが必要で、いわゆる「良吏」論を考えていく上も重要な存在なのだということでした。なお、坦庵はそうした自己認識から好んで「忍」という文字を好み、韮山高校の元校長先生のお話では、これは坦庵の韮山塾を祖とする韮山高校の校訓にもなっているとのことでした。坦庵の「忍」の文字の扁額も会場に飾ってありました。

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次に静岡大学の湯之上隆先生から、「江川文庫総合調査と収蔵計画」と題して、江川文庫の調査の経緯と成果、江川英龍の事績とその資料、今後の研究課題と保存・活用に関する課題についての講演がありました。

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資料の概要については先に述べましたので、ここでは湯之上先生が提示された今後の課題について触れておきましょう。

まず研究課題についてですが、湯之上先生は(1)従来、必ずしも十分に明らかにされてこなかった幕府勘定所と代官との関係を通じて、幕府行財政の実態を具体的に解明できるということ、(2)高橋秋帆から高島流西洋砲術の伝授を受け、幕府鉄炮方を兼帯した江川坦庵の鉄砲研究と、佐賀藩鍋島家との技術交流による反射炉の製造、台場の構築を検討し、幕府側の軍事技術、海防・軍事政策を分析することにって、日本近代化の経緯を幕府の側から明らかにすること、(3)江川文庫に大量に残されたオランダ語辞書やオランダ語の軍事関係書籍から、とくに陸軍を中心とした分野が江戸で進めれていたことの足跡や、韮山塾における教育の実施とのその影響など、洋学の研究を進めること、(4)宮地先生の講演にあったような文化的な問題、坦庵に代表されるような旗本の文化、教養について、中世に遡ってその形成過程を具体的に検討すること、の4つをあげていらっしゃいました。

もちろん、江川文庫による研究はテーマにしても何にしても無限大です。そのためにも調査成果をデータベース化すること、資料の公開を進めるために、とくに写真撮影を進めること、研究成果を公表できるような仕組み作りづくりとしての講演会、展示会、シンポジウムの開催、資料集・論文集の刊行、そのための基盤として研究会を継続させていくことの重要性、そして何より今回の会の主旨でもある収蔵・閲覧・展示施設を建設することを提唱されていました。関係者は、この江川文庫資料と韮山の反射炉などを結びつけ、世界遺産登録の動きとの連携を目指していらっしゃるようです。世界遺産については、鎌倉での苦い経験がありますので(^_^;)、まだ何とも言えない状況ではありますが、そうでなくても江川関係資料の重要性、絶対性は何ら揺らぐものではありません。

湯之上先生の講演では、とくに最近発見された絵画や写真などをPowerPointのスライドにして紹介されていました。ちょっと一部だけ。左側の写真は新たに発見された坦庵の肖像画で、右側は坦庵が描いたものです。坦庵は谷文晁に師事していたそうです。

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その他にも書きたいことはいっぱいありますが、切りがないのでここら辺にして、さて、これからどうやっていくのか。国文学研究資料館の大友一雄さんとはそんな今後のことについても少し話をさせてもらいました。何より、中途半端になっていた私自身の研究を、とにかく一歩でも進めなければならないなということを改めて実感した1日でした。

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