南足柄市郷土資料館の史料調査


いつの間にか夏至も過ぎました。それにしても、長く生きていれば、人生、いろんなことがあるもので…。歴史は引きずっていても仕方がありませんから、きちんと整理をしてケリをつけたら、次のステップを目指すしかないですね。

さて、本日は、南足柄市の郷土資料館に関本自治会の史料を撮影に行って参りました。南足柄市郷土資料館は丸太の森という林間公園?!と言ったらいいのでしょうか?その中にあって、建ってからすでに23年になるそうです。南足柄市の市史編纂事業は、私が神奈川県で初めて経験した自治体史でした。途中もいろんなことがありましたが、それだけに思い入れも強い場所です。

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南足柄市郷土資料館の史料調査は、基本的には県立文書館や小田原図書館と同じく元禄16年(1703)の大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火に関する史料を収集するためです。実は5月9日にも一度伺ったのですが、この時は紙焼きされた史料をスキャニングさせていただいただけでした。今回は、原文書(げんもんじょ)の写真撮影です。今回は特に、災害関係の史料だけではなく、小田原藩政や地方支配(じかたしはいと読みます)に関する史料も撮影させていただきました。こんな感じで、本当にいつでもどこでも…です!

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関本自治会文書は、旧足柄上郡関本村に関する史料として伝来したもので、自治会で管理されていました。関本村は、江戸赤坂御門から青山、三軒茶屋、溝ノ口、長津田を通って相模国に入り、矢倉沢村の関所を通過して足柄峠を越えて駿河国にいたる街道、矢倉沢往還の宿駅的な役割を果たした村でした。矢倉沢往還は、現在の国道246号線、通称ニーヨンロクに沿っていて、東海道や甲州街道のような五街道に対して脇往還と呼ばれています。今回は竪帳の史料だけ26点撮影しました。郷土資料館の飯岡さんには、「これだけ史料を撮影するのに午前中で終わるの?」と言われましたが、そこはプロ!?9時半頃に訪ねて11時半には撮影を終えました(^_^)vうちに帰って枚数を確認してみたところ、440枚でした!どうりで電池がギリギリだったわけです。比較的電池がもつはずのデジタル一眼レフカメラにもかかわらず…です。いずれにせよ、フィルムカメラで古文書を撮影していた時代には考えられないことですよね。しっかし、ここの郷土資料館では、スマホが圏外になってしまったのには参りました(>_<)

それにしても関本自治会文書には本当にいい史料があります。自治体史が終わるとその後の史料のゆくえが心配になることばかりですが、どんな形であれ、収蔵庫をもつ史資料の保存機関をもつことは重要なことです。活字にしたい史料がもっともっとあります。私もいつもながら少しは研究をまとめていかなければ…と思うのですが…。

郷土資料館に行く道は大雄山最乗寺という曹洞宗のお寺に通じる道から脇道に入ります。この時期、最乗寺への道は「大雄山あじさいロード」と呼ばれていて、ちょうど今を盛りとあじさいの花が咲き誇っていました。

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あじさいロードを楽しみながら、お昼は「十八丁目茶屋」というお店で、大雄山名物の「麦とろ定食」を食べ、さらに仁王門の隣にある「天んぐ」というお店で「わらび餅セット」を食べて大学に向かいました。プチ贅沢なご褒美を勝手に自分に与えた史料調査でした。

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