江戸時代の藩はいくつあったか? 館山市立博物館の講演



今年度最後の講演もどうやら無事に終わりました。何度かお知らせしましたように、千葉県は館山市立博物館の講演です。80名が定員のところ、満杯でした。館山ではやはり戦国大名の里見氏が有名ですし、タイトルもちょっと堅かったので、あまりいらっしゃらないだろうと高をくくっていましたが…。皆さんとても熱心で、つい私も力が入ってしまった次第です。

先のblogにも書きましたように、館山には前乗りしまして、当日の朝は少し館山の市内を見て回りました。千葉には何度か来ていましたが、正直、館山の市内を回ったのは初めての事でした。まずは、安房国一の宮の安房神社です。

IMG_0002IMG_0010

建物は新しいようでしたが、さすがに一の宮。趣があります。桜の季節はこの参道が急度キレイでしょうね。こちらでは小さな貝で作られた開運のお守りをいただいてきました。海の神様ですからね。

それから萬徳寺というお寺の寝釈迦、お釈迦様の涅槃像を見に行きました。確か昭和56年(1981)頃に造られたと聞いたかと記憶していますが。全長16mにおよぶ立派なお釈迦様でちょっと感動でした。

IMG_0054IMG_0082

IMG_0083IMG_0069

5本線香を供えた後、お釈迦様の周りを3周します。スロープになっていますので、ゆっくりと回ります。最後に足の裏に来たところで、額に両手をあてて、願い事を唱えます。お願い事は…内緒です。

さて、それから館山城に向いました。

IMG_0096IMG_0097

館山城の天守はいわゆる模擬天守です。里見氏の館山城は、里見義高が改易された後は破却されたそうで、天明元年(1781)に立藩された稲葉家館山藩は石高1万石の無城でしたので、城郭はありません。つまりは陣屋造りだったのですね。それにしても藩主の稲葉氏は、寛永9年(1632)から貞享3年(1686)まで小田原藩主であった稲葉家、当時は京都の淀藩主でしたが、その稲葉家の支藩ですし、里見が改易になったのは、慶長19年(1614)に改易となった小田原藩主で幕府の重臣であった大久保忠隣に連座してのことだとか。直接ではなくても、小田原藩との縁を感じます。

それにしても、昨日の雨が嘘のようです。さすが晴れ男!とヒソカに自画自賛しておりました。館山城の内部は曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の展示館となっておりましたが、何より、最上階から見た風景は格別でした。右の写真は館山湾です。美しく静かなたたずまいでした。

当日の講演の章立ては以下の通りです。
はじめに
・藩…この摩訶不思議なもの
Ⅰ.藩とは何か?
・幕府と藩 将軍と大名家
・藩の数量的検討
・藩のしくみ
・藩社会と藩領社会・藩地域社会 → 館山藩は?
Ⅱ.稲葉家と館山藩
・新興譜代大名稲葉家
Ⅲ.館山藩政と藩地域社会
・藩財政の窮乏と御勝手向き改革
・藩領社会・地域社会と大名主割元役
おわりに

講演の内容については、後ほど博物館のホームページに概要を載せるとのことです。アップされたらまた報告します。

さて、ここで問題です。江戸時代に藩はいくつくらいあったでしょうか?

『近世藩制藩校大事典』(吉川弘文館)には総数540におよぶ藩を上げております。ただ、一つ時期の時期ではだいたい260家(藩)前後 になるようです。 通称「三百諸侯」といいますが、実際は少いですね。
・豊臣政権末期の大名家=204家
・開幕当時の大名家=117家(204家の内、外様大名として存続)+新規取り立て大名68家=185家
・元禄4年(1691)=243家(藩)
・宝暦年間(1751~64)=254家(藩)
・文政13年(1830)=264家(藩)
・慶応元年(1865)=266家(藩)

当日のレジュメからですが、だいたいこれくらいの数になります。せっかくですから、文政13年(1830)の「武鑑」から、大名の石高階層表を作成しましたので、公開します。これも当日のレジュメに掲載したものです。

藩(大名)給数階層表加賀前田家(石川県)が100万石でトップなのは有名ですが、20万石以上の藩は22藩しかなく、これは全264藩のわずか8.33%にすぎないのですね。将軍から判物の領地目録がいただける10万石以上に限っても49藩-18.56%です。これに対して一番多いのが1万石から2万石の藩で85藩、全264藩の32.2%にあたりますから、ここだけで全体の3分の1近くを占めていることになります。ちなみに、将軍家から1万石以上の領地を拝領しているのが大名で、それ以下のは旗本になります。大名だけが「藩」を作ることができる訳ですが、そもそも「藩」という名称自体は、公称ではありませんでした。研究用語、歴史用語として使っているのですね。

ついでに1万石ジャストの藩はといえば、44藩-16.7%になります。10万石以上の藩と数的にはそう大きくは変わらないのですね。しかも石高0石という藩が2藩あります。蝦夷地(北海道)を支配した松前藩と、室町幕府足利家の血を引く下野国の喜連藩(栃木県)です。もっとも、喜連川藩は10万石の格とされていますから、ちょっと別格です。これまたついでに言いますと、豊臣家はなくなってしまいますが、木下家は立派に大名として残っていますし、織田家も、小田原の北条家も大名家として存在しています。小さくとも藩の歴史はさまざまでそれぞれに興味深いです。

書き始めると切りがありませんから(^_^;)今日はこれくらいで。そうそう、もし、この表を使いたい方がいらっしゃいましたら、ひと言、声をかけてくださいね。

春が来たかと思えばここのところ肌寒いというより、本当に寒い!日々が続いておりますので、慰みに最後に春の便りを…!安房神社の桜です。

IMG_0031

馬場弘臣 のプロフィール写真
カテゴリー: 歴史コラム パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*