人口停滞時代としての江戸時代のその3を書く前にひと休みです。ま、勝手なひと休みですか…。昨日18日と本日19日は、いろいろとお出かけの日でしたから、報告です。
◎小田原城で古文書を撮る
まずは18日の午前中、小田原へ。目的は、小田原市立図書館で小田原藩関係の古文書を撮影することです。
小田原城の天守閣に、常磐木門、最後は銅門(あかがねもん)ですね。梅がちょうど満開でした。昨年、天守閣がお色直しをして公開されたことは先のblogでも書きました。
さて、一昨年以来の古文書撮影です。前回は、元禄16年(1703)年の大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火の被害に関する古文書の調査でした。今回は、幕末維新期の小田原藩に関する古文書で、仮題ですが「幕末小田原藩重役覚書」を撮影するためでした。さすがに私もそろそろ小田原藩の研究をまとめなければと思ったものですから、必要な史料を再度集めているところです。この史料は、慶応3年(1867)の大政奉還後から、明治4年(1871)の廃藩置県直前までの幕府の動き(といっても大政は奉還しているのですが…)と、明治政府による藩制の改革、そして小田原藩の対応について詳細に記録された史料です。つまりは藩の解体過程が詳細に分かる史料なのです。
いつも通り、三脚の雲台を下につけ、眼レフカメラを固定して写真を撮ります。最近は、スマートフォンやタブレットでもきれいに写真が撮れますから、わざわざ一眼レフを使わなくてもいいのかも知れません。ただ、私らの世代は、写真を撮るならば、図録に載せられるように撮れと言われていましたからね。保存のためにもきちんと撮っておきたいと思っています。ただ、この古文書は、小横帳で文字が小さいものですから、片方のページずつ撮っていきます。できればもう一人いてくれると楽だったのですが。結構しっかり撮りましたので、腰が疲れました。
あともう一つ、以前の古文書撮影の際にも書きましたが、市立図書館の前の石垣は、関東大震災の際に崩れて、今もそのままになっています。3月には熊本の震災調査に行きますので、そちらの方も確認したかったのでした。
こちらには、iPhoneのパノラマ撮影機能を使って撮った写真を載せておきました。画面中央の右、一番下の石には石切のための「矢」跡のついた石が見えます。左上には天守閣が見えています。つまりここは本丸の石垣なのですね。
それにしても驚いたのは、というより懐かしかったのは、子ども広場の豆電車とコーヒーカップがそのままだったことです。小田原市史をやっていた頃は、娘たちを連れてずいぶん遊びに来たものでした。その頃は観覧車も飛行船もあって、それが一つ一つなくなって、でもまだ豆電車とコーヒーカップは残っていました。子ども広場は80円ですべての乗り物を乗ることができましたので、安く遊べたものでした。
◎藤澤浮世絵館にて
午後はそのまま東海道線で辻堂駅まで行き、再び藤澤浮世絵館へ。もちろん、これも以前、blogでお知らせしましたように、湘南日韓交流協会400周年記念特別講演会の打ち合わせのためです。
藤澤浮世絵館は、規模は大きくありませんが、なかなか充実した展示館です。3月5日(日)までは、「浮世絵でめぐる旅と物語」という展示会をやっていますので、近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。ついでに、講演会のチラシができあがりましたので、宣伝を兼ねて紹介しておきます!時間と興味のある方はぜひお越しください!!
◎大山詣で
本日、19日は大山詣ででした。実は今年の初詣です。このblogでも何度も紹介していますが、年明けには必ず大山に詣でて豆腐料理に舌鼓を打つのが我が家の仕来り?!なのですが、日程が合わず、今日になってしまいました。
今日は天気もよくて、見晴らしは最高でした。江ノ島はもちろん、遠く房総半島まで見渡せます。それにしても階段手前のお茶屋さんは相変わらず「ルーメソ」の幟ですね。下には「もこみちOKです」と手書きの看板が…。よくみると「も」と「ち」の間に小さな「ち」の文字が見えます。確信犯。遊んでますねぇ(^^;)
それにしてもご祈祷所の中は寒かったです。お祈りしたのはたった2組でしたしね。で、帰りはいつも通り豆腐料理。今年も東學坊でいただきました。もちろん、良弁さんの大山まんじゅうも買って帰りました。今年は白いまんじゅうが混じっています。何でもお宮参りで作った特注品の残りだとか。せっかくですから、残りを全部いただいてきました。
店内をみると、3月18日(土)と19日(日)は「大山とうふまつり」の文字。せっかくだから、と、思ったら、講演会でした。あらら…(>_<)
明日、20日からウィンターセッションの授業、史料管理学演習も始まります。