熊本大震災 阿蘇は…


一昨年度は、仙台から名取市の閖上地区、陸前高田市、そして昨年度は宮古から久慈へと、東日本大震災の現在を視察する旅を続けてきました。それは、東海大学文明研究所のプロジェクト研究「災害復興と文明」の一環ではありましたが、それ以前からずっと興味を持っていた私自身の災害史研究を本格化するための旅でもありました。今年は、4月に起こった熊本大震災の現状を視察する旅です。ただし、今回は、東海大学建学75年を記念する記念誌のための取材でもあります。本学阿蘇キャンパスは、農学部が置かれたキャンパスで、講義と実習が密接に繋がっている上に、学生たちもキャンパスの側に住んでいて、常に作物や動物たちの世話ができるという、パプリックアチーブメント教育を地で行くようなところです。

8日の午後、阿蘇について視察を始めると、突然、吹雪くような猛烈な雪が降ってきました。こちらは、テレビなどでもよくみた阿蘇大橋が土砂崩れによって崩落した後です。

山頂から真っ直ぐに阿蘇大橋に向かって土砂が流れ、国道とともに一気に橋を押し流したことがわかります。この道の向こうに確かに高くて大きな橋が架かっていました。周辺の景色はというと

1枚目が左の方に見えるコンビニの後です。もちろん、営業はしていません。崖が削れて、今にも落ちそうです。2枚目は右方面の数鹿流ケ滝(すかるがのたき)の周辺で、ここからは滝は見えませんが、滝の周辺が大きく削られていて、すっかりとようすが変わっています。流麗な滝だったのに、驚くばかりです。正面に見える滝は崩落によってあらたにできたものです。数鹿流ケ滝は右の奥の方にあります。

阿蘇を襲った地震は、震源地が比較的浅い、直下型地震だと言うことです。これは震源地が浅いだけに大きな震動を引き起こすのだけれど、活断層以外の部分は比較的被害が小さいそうです。

1枚目の写真を見れば、活断層が真っ直ぐに延びていっているようすがおわかりいただけるかと思います。2枚目の写真では、阿蘇キャンパスの1号館に向かって、やはり活断層が真っ直ぐに延びていて、校舎もまた、その延長線上が崩れているようすが見てとれます。これほどはっきりした活断層の後をみることができるのも珍しいそうです。もちろん、この活断層は今まで知られていなかったものです。やはり活断層の上に原子力発電所があったとすれば、それは非常識を通り越しています。疑いであってもやはり避けるべきだなと痛感せざるを得ません。

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