今年も3月11日が来ました。東日本大震災から6年目。この日にお亡くなりになった方々は7回忌の法要を迎えることになります。今、震災の現況調査で熊本キャンパスと阿蘇キャンパスを訪れていることは、先のblogで報告したとおりです。今日は、熊本から実家に帰っています。まったく偶然なことに、6年前も熊本にいて、11日に実家に帰ったのでした。違うことと言えば、6年前は翌日に九州新幹線の開業を控えていました。その新幹線に乗って、久留米に出てバスで帰ってきました。熊本から久留米まではたった20分です。驚くべき速さです。
さて、調査の2日目は熊本城を視察したことも先のblogで触れましたが、報告はまだでした。今回の視察は、熊本キャンパスの新田時也先生にお願いして、毛利秀士先生を紹介していただき、そして同級生で加藤清正の菩提寺である本妙寺の住職、池上正示君にたいへんお世話になりました。毛利先生には熊本城を案内していただき、また管理施設課の職員の方にもいろいろと説明をしていただきました。今回の現況視察は、『東海大学七十五年史』に関係した調査でもありました。熊本のシンボルである熊本城に関する市民の皆さんの偽らざる思いを知りたいと思ったのでした。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
すでに昨年の9月4日は震災後の熊本城を訪れたのですが、その時とそんなに大きくは変わっていないように感じてしまいます。管理事務所の方に訪ねてみました。石垣には大きく崩れたところと、宇土櫓のようにぜんぜん崩れていないところがあるようだが、何が違うのかと。今回崩れたところは明治33年(1900)の震災で崩落したところが再度、崩れているようだとのことでしたが、それが当時の組み方がよくなかったのか、そもそもそこの地盤の問題なのかはまだ調査中とのことで、そうした調査の結果が出ないうちは石を組むこともできないそうなのです。その調査にはまだ1年以上かかるそうで、そうであれば復旧まで22年かかるということもうなずけます。
昨年の9月に訪れた際は台風が接近していましたから天気が悪かったのですが、この日は抜けるような青空になって、それだけに痛んだ天守に一層の悲哀を感じます。それでも重要文化財の宇土櫓はしっかりと建っていて勇気をもらいます。
ただし、この宇土櫓も内部はかなり傷んでいるそうで、結局、解体修理を加えるとのことでした。さらに、ずっと気になったおもてなし武将隊のことも聞いてみました。もちろん、城内では活動はできないが、その分城外の各所で”おもてなし”をしてもり立ててくれてくれているそうです。なんだかホッとしました。の
3日目は熊本キャンパスでまた、聞取り調査でした。詳しい内容については、『東海大学七十五年史』で書いていただけると思います。ひとつ興味深かったのは、阿蘇キャンパス農学部長の荒木先生のお話しで、震災が起きた直後には赤十字からエージェントと呼ばれる方が派遣され、その方の指示でレスキューや食料など避難所でのさまざまな活動を行なうそうなのです。そして阿蘇キャンパスの学生たちは、積極的に班をつくって活動したとのこと。さもありなん。ここの学生たちは、きちんと明るく挨拶ができて、どこのキャンパスよりも気持ちのよい学生たちです。私も実家が農家なのでわかるのですが、農家の仕事は指示されるだけではなく、自分の仕事は積極的に考えていかなければなりません。とりわけ出荷場の仕事を手伝うときなどはそうでした。人間はやはり、身体を動かして、もっと言えば、身体の動かし方を知ってこその脳みそだと私は思っていますので、そうした農作業のたいへんさを知っていること自体がぜんぜん違うのだと思います。
阿蘇キャンパスは1号館をはじめとして校舎は活断層の上にあって再建は難しいそうです。それはマスコミでも報告されたとおりですが、ただ、農場も牧場も加工場も無事でした。今、阿蘇キャンパスの学生たちは熊本キャンパスで講義を受けながら、必要に応じて阿蘇に通っています。次年度以降の授業もたいへんでしょう。ただただ、がんばって欲しいと願うしかありません。とはいえ、熊本キャンパスにはこんな掲示もありました。まさに希望への一歩ですね。