歴史気候学とは?


台風15号は、昨日、静岡に上陸して首都圏を直撃し、それから今日にかけて東北・北海道を縦断しながら大きな被害をもたらしました。九州は福岡生まれの私のとっても、ひさびさに体験する本格的な台風でした。昨日は、夕方のラッシュと重なったこともあってまたまた多くの帰宅難民を出したようですが、台風のコースといい、一昨日の天候(嵐の前の静けさでしたよ、典型的な!!)といい、経験からいっても、予想された事態でしたね。東海大学は、ガイダンスを取りやめて、午前中には職員の帰宅を命じましたが、懸命な措置だったと思います。上の娘は大学から帰ってこられませんでした。どうも関東方面の方々は、台風の恐ろしさに対して鈍いような気がします。それにしてもまたまた「水」の被害でした。今回はそれに「風」の被害でもありましたが…。

さて、気候と環境と歴史との関係といえば、前々回にも紹介した地球の温暖化の問題があります。また、災害ということでいえば、例えば、天明の飢饉の一つの要因が天明3年(1783)の浅間山の噴火にあったことはつとに語られています。ついでにいえば、この時の火山灰は成層圏まで達して季節風に乗り、ヨーロッパの天候不順を引き起こして、それがフランス革命の要因ともなったという説もあります。でも、宝永4年(1707)の富士山噴火による降灰がのちの天候不順をもたらしたという話は聞きません。季節が違うからでしょうか。いずれにしても、この種の話には安易に乗らない方がいいでしょうね。古文書や記録の精査はもとより、地質学や気候学、太陽の黒点の問題など、科学的な知見も勘案して総合的にみていく必要があるでしょう。

そうした気候と歴史との関係を体系的にみていくという点では、フランスはアナール学派の大家エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの研究が注目されることでしょう(『気候の歴史』藤原書店、2000年。『気候と人間の歴史・入門【中世から現代まで】』稲垣文雄訳、藤原書店、2009年)。アナール学派は、ヨーロッパの旧来の英雄伝や年代記的な歴史ではなく、人びとの生活や意識などに深く着目することで、日々に息づく歴史を掘り起こしていきます。そうしますと、必然的に長期的な時間軸の中でのさまざまな推移(変わらないことの重要性も含めて)に着目することになります。ですから、気候とか人口変動とか、長期にわたるデータ分析が大きな軸となって歴史の展開をみていきますので、それだけスケールの大きな、だけれども我々の生活に密着した歴史が描かれていくことになります。

ただし、このコラムでとりあげた「歴史気候学」が、そうしたアナール学派的な「歴史」と「気候」との見方とどのように関係しているのか、残念ながら私にはよくわかりません。ここでいう「歴史気候学」は、直接には根本順吉氏の言を借りたもので、1980年代のものです(「歴史気候学の進展―江戸小氷期と飢饉―」週間朝日百科  『日本の歴史』87 近世2-10 浅間の噴火と飢饉、1987年)。いずれの場合も古文書や記録などの歴史史料が軸となること、これに地質学や太陽の黒点など、さまざまな研究分野の融合と体系化を試みているという点ではおそらく同じ視点に立つものなのでしょう。少なくとも過去のこうした事象を確認するには信用できる古文書や記録の類をなるべく広範に大量に集めて分析することが基本となります。誤差、ノイズをなるべく減らしていかなければなりません。地震研究の総本山である東京大学の地震研究所などもそうですね。あらゆる古文書や記録を網羅的に集めていきます。そうして確実な過去の状態を復元していくわけです。

いずれにしましても、ここではあくまでも根本氏の提起された「歴史気候学」とその成果から考えていくのだということをまずは確認しておきたいと思います。

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