今日で2018年の授業もお仕舞いでした。1、2時限目が現代教養の授業で、旧カリキュラムの「江戸学の現代社会」でした。旧カリキュラムですので、学生の数は少ないのですが、何だかドッと疲れが出てしまったようで、いや~本当に眠い1日でした。
さて、前回の続きで、今日は明後日開催される関東学院大学とKADOKAWAの『横浜ウォーカー』とのコラボ企画「横浜学」の本番です。当日は、私と国道愛好家で研究者の松波成行氏、保土ケ谷区政推進課超の宮本薫氏がそれぞれ20分ずつ基調報告をして、その後30分ほどディスカッションをし、最後に10分ほど質疑応答という流れになります。1分で話す量がだいたい300文字と言われていますから、300文字×20分で6000文字。だいたい400字詰め原稿用紙15枚分ですね。サッサーと話をしないといけませんね。最終的には100名ほどの応募があったとのことでした。
メインテーマが「横浜と東海道」で、私のお話は、このタイトルにも書きましたように「幕末の東海道と横浜」です。
こちらはPowerPointの表紙になります。横浜には神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿と東海道の宿場町として3宿がありました。当日のお話しは、この3宿を含め、幕末から維新にかけてどのような「行列」が東海道を駆け抜けていったのかについて具体的にお話ししようと思います。とはいえ、20分ですから、本の触りだけですね。
こちらが当日お話しする内容です。前回お話ししましたように、今年は「明治150年」ということで、私自身は、それぞれの講演をつなぐテーマを「地域史からみた幕末維新」と考えていました。そのラストを飾るお話しです。東海道の宿場町に残る史料によると、東海道が騒がしくなったのはどうも薩摩藩の島津久光が率兵して江戸に下向して以来と言っています。その帰りに有名な生麦事件が起こるのですが、そこら辺がどうも幕末内乱の一つのきっかけになったという所から話を始めまして、将軍徳川家茂の上洛・還御、そして長州征討のための進発という西への流れから、その逆、すなわち東征軍の派遣から最後、明治天皇の東幸までを大きな流れとしてあつかう予定です。私にとってはまとめですね。
どうも雨模様とか…。自分が晴れ男だということを信じましょう(^^)明日は、横浜市歴史博物館の企画展「横浜市指定・登録文化財展/神奈川の記憶-歴史を見つめる新聞記者の視点」を見に行きます。「吉岡由緒書」についてもとりあげてもらっていますのでね。詳細はまた、明日、報告します(^^)/
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