Professor's Tweet.NET

小島鹿之助『小島日記』重要記事目録の修正版をアップします!

昨日、町田市立自由民権資料館で「地域史からみた幕末維新-小野路村組合と木曽村寄場組合-」というタイトルで講演したお話を書きました。地域史といっても主なフィールドは相模国でしたから、武蔵国について話をするのは、横浜辺りを除けば初めてでしたから、それなりに準備が必要でした。相模国と武蔵国ではそう変わらないと思うかも知れませんが、いや、それが結構、違うんですよね。有体にいえば、江戸時代の史料に限っていえば、相模国より武蔵国の方が断然面白くて、地域の動きも深くて大きいのです。早い話、今回講演で使った『小島日記』を綴った小島鹿之助は、近藤勇と義兄弟の契りを交わして、自宅の庭で天然理心流の稽古をやっていたといわれていまして、武蔵国から浪士組に加わって将軍家茂と一緒に上洛した人はたくさんいますが、同じように天然理心流が伝播していても、相模国から参加した人物はいませんからね。もっとも鹿之助の居所である小野路村からも参加者はいませんが…。

前置きが長くなってしまいました。そんなわけで、とくに安政7年(1860)から明治元年(1868)までの『小島日記』をそれこそバーッと通覧していったわけです。あ、安政7年にしたのは、横浜開港との関係です。横浜が開港してから横浜10里四方を外国人の遊歩地区と定めます。小野路村を中心とする町田地域が、本格的に幕末期の社会変動に巻き込まれるのは、まさにこれを契機としたと考えられるからです。そこで、『小島日記』と文久3年(1863)の『梧山堂雑書』という鹿之助のもう一つの日記に付箋を挟みながら、目録を作っていきました。でも、付箋をこのままにするわけにはいきません。

そこで今日は、付箋を一つ一つ外しながら、目録の誤字脱字等を集成したり、気になった記事を追加したりしてみました。昨日も書きましたが、こうやって重要だと思われる記事を抜き出していくと、さすがに脇往還の継立場を勤めていて、宿場化している小野路村の名主です。鹿之助が、いろんな情報を収集していること、それが見事にこの時代の動きと呼応していることに驚かされます。さらにいえば、同じく義兄弟の契りを結んだといわれている日野宿名主の佐藤彦五郎などと情報のやり取りをしていますから、なおのことです。もっといえば、政局の中心となっていく京都の情勢については、近藤勇ら新選組の連中からも入ってきますからね。もちろん、誤報もありますし、それだけでは意味がとれない記述もありますが、幸いなことに『小島日記』の目次がよくできていますし、語注もありますのでまとめやすかったですね。これらは大いに利用させていただきました。

ということで、『小島日記』重要記事抄録一覧の修正版です!→ kojimaniki_2

もし、前回ダウンロードされた方いらっしゃいましたら、差し替えてくださいま。また、何かご意見などがあればぜひお聞かせくださいませ(^^)

Amazon.co.jp ウィジェット
Amazon.co.jp ウィジェット

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
Exit mobile version