中国は唐の時代、盧生(ロセイ)という青年が、身を立てようと楚(そ)へ向かう途中、邯鄲(カンタン)の町の宿で道士(どうし)と呼ばれる占いやまじないを業とする術士の呂翁(リョオウ)に出会います。この呂翁から枕を借りて眠ると、都に行って出世し、栄華を極めた一生のことを夢に見ます。しかしながら、目が覚めてみると、眠る前から宿の主人が炊いていた黄粱(ロウリョウ=粟のこと)がまだ炊きあがっていなかったという故事から、人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえを「一炊(いっすい)の夢」と言うそうです。また、「邯鄲の夢」「黄粱一炊の夢」「盧生の夢」「邯鄲の枕」「邯鄲夢の枕」とも言うそうです。
この言葉を初めて知ったのは、恩田陸さんの『ライオンハート』という小説を読んだときでした。確か「中国の故事に、人は粥を炊く間に一生分の夢を見るという…」といったフレーズだと記憶しています。改めて思いだして調べてみると、それを「一炊の夢」という知ったのでした。先にも書いたように、これにはさまざまな言い方があるようですが、私はやっぱりこの「一炊の夢」というのが一番好きですね。
人は、粥を炊くわずかな間に一生分の夢を見る…。逆にいえば、人の一生は、粥を炊く間に見る夢のようなものだとも言えるでしょう。こうやって年を重ねていくと、今さらながらに人の一生の短さを感じます。あんなこともこんなこともあったのに、過ぎてしまえば本当に一瞬のことのように思えます。積み重ねた65年の年月、世の中は大きく変わりました。喜怒哀楽…そのすべての感情も今振り返れば遠い過去であり、懐かしい思い出です。
幼かった頃のこと、幼稚園では急性腎炎にかかって最後のひと月を入院し、卒園式に出られなかったこと。小学校の新入生校内見学では、担任の先生が背中におんぶして案内してくれたこと。学級委員などをやってはいたものの、仲がいいというほどの友達もいなくて、扁桃腺炎の影響で、病気ばっかりしていたこと。中学校では、森田健作さんの「俺は男だ!」に憧れて剣道をやっていたこと。なのに高校では、中学時代にテレビでやっていた男子バレーボールのアニメ「ミュンヘンへの道」を見て、バレーボールに憧れ、実際に1972年のミュンヘンオリンピックで金メダルをとったことから、バレーボール部に入部したこと。まぁ~ミーハーですね。
大学は一浪して東海大学の日本史専攻に入学し、当初は古代史をやるつもりだったのに、古文書のおもしろさに引き込まれて、結局、近世史を専攻することになったこと。あ、歴史に興味を持ったのは、歴史と時代劇が好きだった父の影響と、高校の目の前に筑紫君国造磐井の墓、岩戸山古墳があったことからで、何となく古代史を勉強しようかなぁと漠然と考えていただけでした。
卒業したら教員になって故郷に帰ろうと思っていたのですが、大学院に進み、博士課程の2年目で結婚して、結局、ずーっとこちらに住み続けることになってしまいました。29歳で長女が生まれ、33歳で次女が生まれます。
この頃までには、益子町史、南足柄市史、龍ケ崎市史、真鶴町史で主に近世史料の調査と編纂作業をやっていて、高田馬場にある日本児童教育専門学校で日本文化史の授業を教えていました。一番不安定な時期だったと言えるでしょうか。でも、関東近世史研究会で常任委員をしながら勉強し、あちらこちらでたくさんの古文書が見られて、ある意味、幸せな時期でした。子どもは可愛いし…。考えてみたら、ここまでで人生はまだ半分です(^^;)あまり思い出話ばかり書いてもしょうがないのでこの辺りで終わりにしましょう。
それにつけても思い出すのは、やはり故郷のことですね。こちらは2011年の春に子どもたちと帰郷した時の写真です。笑顔であまおうを鉾詰めしている父は、この年の9月に亡くなります。そんなことは微塵も感じません。来年は13回忌です。そして母の3回忌です。
本当にすべては「一炊の夢」ですね。
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