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【論文】相模国小田原藩における大災害からの復興と改革・仕法

東海大学文明研究所『文明』No.23誌上に論文「相模国小田原藩における大災害からの復興と改革・仕法-吉岡家の俸禄米をめぐって-」を発表しました。この論文は、(1)「元禄大地震と富士山噴火 その1-相模国小田原藩の年貢データから-」『文明』No.19(2014年)、(2)「元禄大地震と富士山噴火 その2-相模国小田原藩領の年貢割付状分析から-」『文明』No.21(2016年)に続く3部作のラストを飾ります(^^)

元禄16年(1703)の大地震とそれから4年後、宝永4年(1707)の富士山噴火による被害は、その後の小田原藩政を規定し続けた大災害でした。その被害や復興に関する論文や自治体史(市町村史)の記述はたくさんありますが、私の研究はいずれもその復興過程を長期波動として追ったものです。(1)では2つの災害を小田原藩がどのように捉えていたのかからはじめて、その後の復興過程を小田原藩領全体の年貢米永の変遷から考察したものです。ここでは年貢の回復だけでも優に100年はかかることを指摘しました。(2)は、(1)に対して、小田原藩領の村々のうち、平野部、山間部(畑方地帯)、田畑が拮抗する中間地帯の3つのグループに分けて、それぞれの年貢割付状を分析することで、(1)の復興過程を領内の村むら単位で検討したものでした。

今回論文(3)は、これらを前提として、藩士の俸禄米の変遷を分析したものです。対象としたのは、知行高340石取の家臣吉岡家で、同家の記録「吉岡由緒書」から俸禄米支給のデータを抽出しました。下図がこれをグラフ化したもので、論文の軸となるグラフです。

吉岡家の俸禄米支給

こうやってグラフにしてしまえば「ほぅ」と思うだけでなんでもないようですが、とにかくここまで来るには結構たいへんなんですよ(^^;)それは(1)(2)の論文も一緒です。こんな分析はだいたい論文の前提としてやるもので、そこまで詳細に分析することはあんまりないかと思います。評価はどうでしょう?いずれにしても労多くして…ですね。また、これも(1)(2)でについても言えることですが、そもそもこうしたグラフや表を通常の学会誌には載せることは到底、叶わないかと思います。この『文明』誌上に発表することにこだわっているのも、会誌の大きさがA4であることと、カラー版であることが何より大きいのですね。

また、この論文では、ただ単に俸禄米の変遷を追っただけではなく、その背景となる藩政の改革や仕法の展開を通時的に検討しており、これを「藩政の見取り図」を描くと表現しています。果たしてそれが果たせているか、PDFファイルを公開しますので、ご覧いただければと思います。なお、これは本学の文明研究所のサイトおよび機関リポジトリでも公開されます。一足先の公開です(^_^)v

「吉岡由緒書」は、一昨年のクラウドファンディングで翻刻のための資金をお願いした史料です。また、この論文は、その時のリターンとしてお約束したものでもあります。基本的なデータ自体は、小田原市史の時代に分析していたものでしたが、もう一度分析し直すのに時間がかかってしまいました。「吉岡由緒書」もまだ刊行に至っていません。支援していただいた方には本当に申し訳ないと思っております。とにかく、ぜひとも9月の刊行を目指したいですね!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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