ここのところ幕府や藩の組織や役職について続けて投稿しています。これは東京学芸大学で、ちょうど藩のしくみについて授業を行っているからでしたが、もう一つ、小田原藩の俸禄米支給の問題について論文を作成している最中で、こうしたことについても再確認しているからでもありました。そこで今回は、藩士の家禄について、また概観してみることにしましょう。次の図は、家禄に関する概念図です。これも授業で使用しているものです。
藩士の家禄については、土地を与えられている場合と、藩庫から切米・切石や扶持米という名目で米や給金等が支給される場合があります。土地が与えられる場合、これを「地方知行(じかたちぎょう)」といい、こうした藩士を「知行取」の家臣と称します。また、藩庫から米金が支給される場合を「蔵米取」といいます。
地方知行の場合は、徴税権を中心とした支配権が中心です。これについては、時代を降るにしたがって形骸化する傾向があり、藩庫に吸収されて、知行取の藩士には藩から知行高に応じた米が支給されるようになってきます。これを「蔵米知行」といいます。小田原藩の場合は、知行高100石に対して米108表に換算されていました。この蔵前知行と蔵米取を合わせて「俸禄制」と呼び、そこで支給される米を「俸禄米」と呼んでいます。私が今、書いているのは、小田原藩における俸禄米支給の制度的変遷から、小田原藩政の展開をみていこうというものです。小田原藩の場合は、財政窮乏の要因として、元禄16年(1703)の大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火による被害がありました。こうした大災害からの復興に関しては、「元禄大地震と富士山噴火 その1」「元禄大地震と富士山噴火 その2」としてまとめています。その1は小田原藩領全域の年貢収納について、またその2は小田原藩領の村々の年貢収量について分析したものです。次のURLにリンクを貼っておきますので、興味のある方はぜひご覧ください。PDFファイルもダウンロードできます(http://www.ihmlab.net/tweet/babalab/)。
ところで、地方知行は次第に形骸化するといいましたが、どうやらこれは譜代藩を例にとってのことで、薩摩藩や長州藩、あるは仙台藩や秋田藩などの外様藩では、幕末まで地方知行が残っている例も多いようです。そうしますと、藩のイメージというか内実もずいぶんと違ってきますね。
<A rel=”nofollow” HREF=”//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Fomikun0f-22%2F8001%2Fbb2c02bd-f891-44a9-8de8-44edb64e1e8f&Operation=NoScript”>Amazon.co.jp ウィジェット</A>
投稿者プロフィール
最新の投稿
今日のつぶやき2023年10月2日一炊の夢 L188Mile お知らせ2023年9月12日秋の北條秀司展 L257Mile 今日のつぶやき2023年6月29日夏色 L281Mile 今日のつぶやき2023年6月21日あつぎ郷土博物館 L289Mile