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北條秀司関係資料
資料の整理状況

整理の経過

第一次整理

2000年度は、大学院生と学部生を中心に、蔵書のデータベース入力と目録作成にあたった。書庫にある資料の棚ごとに記号をつけて片っ端から書誌のデータを入力していくのである。時間もパソコンの台数も足りないので、コピー機を持ち込んで奥付をコピーし、後で入力するようなこともあった。こうして翌年3月までには18,122点のデータを入力して目録化した。これが第一次の整理であった。

第二次整理

資料データの入力作業(2001年)

資料データの入力作業(2001年)

2001年からは、翌年の記念碑建立と展示会をめざして、小田原市立図書館から本格的な資料の所在調査と整理作業を委託された。作業は主に千田氏と目七氏が中心となり、また五月の連休や夏休みなども利用して集中作業を行った。こうして2001年から翌年にかけて第二次の整理作業が急ピッチで進められた。そうした成果をもとに、2002年の10月には小田原文学館で「生誕100年・北條秀司の偉業と生涯」展が開催され、また10月29日には俳優の森繁久彌、緒形拳、水谷八重子、波乃久里子氏らを迎えて北條秀司碑の盛大な除幕式が行われたのである。

東海大学付属図書館へ移管

東海大学付属図書館への移管作業(2003年)

東海大学付属図書館への移管作業(2003年)

しかしながら問題はそれからであった。資料整理といっても北條邸のあちらこちらから関係資料と思われるものを集めてきては中性紙の封筒に入れ、段ボールに詰め、データベースとして入力するといった作業を続けては来たものの、それ自体が体系立ったものではなく、この段階でそのすべてがチェックできたわけでなかった。また、箱詰めした資料をどうするかも大きな問題であった。資料の調査も整理もまだ道半ばだったのである。そのまま北條邸に置いたままにしておくにも限界があるので、とにかく資料の受け入れ先を早急に探さなければならない。そこで私の恩師である東海大学文学部歴史学科日本史専攻教授の曽根總雄氏に相談をし、曽根氏より付属図書館の村山重治図書課長(当時)、さらには渡瀬信之付属図書館長(当時)に掛け合っていただき、寄託という形で東海大学付属図書館が受け入れることになったのであった。資料が移管されたのは、2003年9月のことであった。その年の11月には、受け入れた資料をもとに11号館の付属図書館展示室において「劇作家 北條秀司展」が開催された。

第三次整理

展示会「北條秀司の舞台」(2004年)

展示会「北條秀司の舞台」(2004年)

その後の整理は、千田氏が中心となって、原稿や台本、ポスター、上演プログラムなどの演劇関係の資料と書画類についての集中的な整理作業が続いた。これは単に資料整理を進めるだけでなく、その成果を展示会などの手段で公にするためでもあった。2004年11月には付属図書館主催で、先の歌舞伎劇、新派、新国劇、舞踊劇の四つのジャンルを中心にした展示会「北條秀司の舞台」展が開催された。また、この展示会では、11月3日に美智留氏と緒形拳氏を招いて、文字どおり「北條秀司の舞台」について語ってもらうトークステージを開催している。緒形氏は名優辰巳柳太郎に憧れて新国劇の門をたたいたのだが、その新国劇入団に便宜をはかったのが北條だったのである。若い頃は一時期、北條邸に居候しながら演劇の勉強をしていた。また、北條が90歳で書き上げた最後の戯曲「信濃の一茶」は緒形氏のために書き下ろしたものであった。

展示会「北條秀司をめぐる人びと」

展示会「北條秀司をめぐる人びと」(2007年)

さらに2007年には、6月に紀伊國屋新宿本店画廊で、また11月には付属図書館展示室において北條が所蔵する作家や俳優、歌人、詩人、画家、書家などの書画類の展示会「書画展 北條秀司をめぐる人びと」を開催した。この展示会に際しては、図録として付属図書館の編集による『書画集 北條秀司をめぐる人びと』が刊行されている。この2003年から07年までの期間が第三次の整理であった。

第四次整理

なお、翌2008年10月には、箱根町立郷土資料館において「劇作家北條秀司 箱根へのおも憶い」展が開催されている。学外機関との共催ははじめてのことであったが、大和田公一館長(当時)および髙橋公一氏の企画で、この展示会では主に、北條の箱根登山鉄道時代の業績と劇作家としてのデビューがとりあげられた。ここから2009年にかけて、それまでの整理をおおまかにまとめたのが第四次の整理作業である。

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