「子供いない」理由に三行半 異例の理由記載 江戸時代の離縁状、群馬で発見 - 産経ニュース 

「子供いない」理由に三行半 異例の理由記載 江戸時代の離縁状、群馬で発見 - 産経ニュース 

江戸時代、子供がいないことを理由に夫が妻に渡した「三行半(みくだりはん)(離縁状)が、三行半研究の第一人者の群馬県太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長、高木侃(ただし)さん(75)の調査で初めて見つかった。

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http://www.sankei.com/life/news/170129/lif1701290011-n1.html

>縁切寺と言えば、こちらにある群馬県の満徳寺と、神奈川県は鎌倉の東慶寺ですね。50代以上の方であれば、さだまさしさんのグレープというデュオが歌っていた「縁切寺」を覚えていらっしゃる方も多いかと思います。重要文化財に指定されています。

鎌倉の東慶寺。臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺と称します。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼となっています。江戸時代には、いわゆる鎌倉五山よりも手厚い保護を幕府からうけていたようです。昨年、鎌倉の「近世都市化」について考察した卒業論文を書いた学生がいまして、いろんな寺院を比較してわかったことでした。

東慶寺の古文書は、現在、重要文化財に指定されています。そのための修復が行なわれていて、鎌倉市文化財専門委員会の関係で少し参加させていただきました。それにしても、文化庁の史料調査と整理、そして目録の取り方というのは独特なのですね。それまでの県や市の調査と大きく異なってしまっていて、照合するのに往生しました。下の写真は修復のための調査をしているところです。山号が松岡山ですから、縁切寺としての東慶寺は「松ケ岡御所役所」「松ケ岡役所」と呼ばれていました。東慶寺についても高木先生が詳しく研究されていらっしゃいます。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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