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北の至宝:道内の文化財を訪ねて 函館・四稜郭 急造された「支城」 /北海道 – 毎日新聞

明治新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争で、最後の戦いとなった箱館戦争が繰り広げられた函館市。国の特別史跡「五稜郭」は、軍艦8隻を率いて江戸を脱した榎本武揚ら旧幕府脱走軍が本陣を置いたとして知られるが、その約3キロ北東に当時をしのばせるもう一つの史跡「四稜郭」がある。

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https://mainichi.jp/articles/20170723/ddl/k01/040/102000c

>う~む、厳密な意味で「城郭」と言えるのかなぁ。五稜郭も「堡塁(ほうるい)」と言われているけれど、これも『広辞苑』によると「敵の襲撃を防ぐため、石・土・砂・コンクリートなどでかためた堅固な構築物。とりで。」されていますよね。もう一つの「五稜郭」、信濃国佐久郡の龍岡城も、藩主松平家は1万6000石だから「無城」もしくは「陣屋持」という格で、居所も陣屋ですよね。であれば、四稜郭は出先の砦ということになりますよね。五稜郭も要塞機能を持った奉行所といった方が理解できるような…。そもそも開港すれば、外国との戦争だけを前提とするわけにはいかなくなるし…。艦砲射撃を避けるために松前藩の奉行所を奥地に移したとは言われていますが、建設時の史料をみたいものです。夢のない話ですかね(^_^;)

※五稜郭タワーよりみた五稜郭(2002年10月19日撮影)

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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