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名残り梅咲き誇る益子にて

17日の日曜日は、既報の通り、栃木県の益子町で講演会でした。講演の内容については、また後日。書きたいことはたくさんあるのですが、眠かったり、時間がなかったりで、溜まっていきます。本日は、今年の1月17日にオープンしたばかりのあつぎ郷土博物館の第1回協議会だったのですが、これもまた後日。

さて、益子に行ったのは、20数年ぶり?もっとでしょうか?前にも書きましたように、益子町史は、私がかかわった1番最初の自治体史で、私にとっては、まさに研究者の原点ともいうべき場所です。はじめて益子に来たのが1982年のことですから、それから37年ですか。人生はまさに時間ですね。時間の使い方ですね。

講演が終わってその日は益子舘里山リゾートホテルに泊りました。こちらは昔は何といったでしょうか?できたばかりの時にも泊まりに来ました。今はアパグループのホテルなのですね。ホテルから益子駅までは歩いても30分程度なので、チンタラ歩いて駅まで。途中、盛りは過ぎていましたが、梅の花がまだ咲き誇っていました。やはり北関東なのですね。

天気もよくてすがすがしい気分です。下の2枚の風景は、ザ・益子ですね。景色は違うけれど、故郷福岡の八女を思い出します。でも、益子町の風景もメイン通りなどはすっかり変わってしまいました。びっくりしたのは、城内坂というのが整備されていて、両脇に益子焼を売る店が並んでいることでした。城内は、江戸時代の益子村内部の地名です。江戸時代の益子村は、内町組、新町組、田町組、城内組、道祖土(さやど)組の5つに分かれていました。城内はその一つなのですね。でも、益子焼共販センターは昔のままでした。入口のでぇっかい狸の焼き物も変わらず見守ってくれていました。

いかがでしょうか?結構、迫力のある御狸様でしょう~。残念だったのは、赤羽まんじゅう屋さんがお休みだったことです。ここのまんじゅうは美味しくて、いつも帰りに買って帰っていました。いや、本当に残念でした。途中、鹿島神社にもちょっとお祈りしてきました。

こちらには「陶祖大塚翁頌徳碑」が建っています。益子焼は、嘉永6年(1853)に益子村の大塚啓三郎がはじめたと言われています。こちらは八坂神社も合祀されていて、夏祭りには益子の各組はもちろんのこと、近隣からも山車が出て賑わいます。それに関東三大奇祭の一つと言われる「御神酒頂戴」が開催されます。2升5合だかのお酒が入る大きな杯をその年の当番の家が回し飲みをするのです。下戸の私はまじで死んでしまいます(^^;)要は、江戸時代から続く一気飲みですからね。

右下は現在の益子駅です。まぁ~様変わりしたものです。ツインタワー?!がいやに目につきますね。でも、駅中はあまり変わっていませんでした。

真岡鐵道は第三セクターで運営されています。私らが通っていた頃は国鉄の真岡線で、トイレに入ったら、線路が見えてびっくりしたものです。単線の1両編成です。益子から乗ったのは私を含めて3人でした。今でもびっくりしたのは、列車のデザインです。Twitterにあげたら、仮面ライダーアマゾンみたいとリプがありました。確かに!何かに似ているなと思ったら、確かに仮面ライダーアマゾンですね。斬新すぎる…(^^;)今度はぜひ、SLに乗ってみたいですね。小学校以来になることですし。益子よ、また来るぜ(^^)/

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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