報徳二宮神社と小田原城

今日のつぶやき
報徳二宮神社と小田原城

昨日から祈るような気持ちで箱根駅伝を見ていたのですが、胸騒ぎが現実となって、残り1Kmで法政大学に逆転されてシード落ち…。ゼミ生には駅伝部の学生もいますからなんとも言えません。ただ、今年はあまり芳しくない状況であったことは確かなようです。予選会からだと来年は本当にたいへんだと思います。

昨日は全国大学ラグビー選手権の準決勝で、明治大学に逆転を許して負けてしまいました。どうも東海大学は本番に弱いというか詰めが甘いというか…。ゼミ生ではないですが、ラグビー部の学生も授業を取っていますし、なにより学生たちはみな一生懸命にやっています。結果は結果ですが、やはり悔しいものですね。

そんなこんなでいたら、上の娘から、「今、小田原の報徳二宮神社に初詣に来ている」とLINEが…!報徳二宮神社は何でも今年のパワースポットだとか。せっかくだから、三が日のうちに市外の神社に初詣に行くか…ということで、急遽、報徳二宮神社に行くことになりました。ただ、帰りは小田原厚木道路が混雑するかも知れないと思いましたので、小田急線で行くことにしました。

改めて言うもまでもなく、報徳二宮神社は、江戸時代後期の農政家(と一般的には言われます)として著名な二宮尊徳(金次郎)を祀った神社です。尊徳は足柄下郡栢山(かやま)むら(小田原市)で産まれましたからね。尊徳を取り立てたのが小田原藩主の大久保忠真(1781~1837)で、その藩政改革が私の第一の研究対象です。もちろん、尊徳も大きくかかわってきます。すでに『益子町史』や『大磯町史』では、通史編でそれぞれの地方の報徳仕法について書いています。

報徳二宮神社は小田原城内にあるとわれていますが、小田原駅からだとちょうど天守のある本丸の向こう、常磐木門(ときわぎもん)の方にありますから、できれば車で行った方が便利で早いのです。でも、歩くのもいい運動です。

そうしたら、こんな立派な幟が迎えてくれました。中に入ると午後4時を過ぎているというのに、結構、参拝客が並んでいました。東京都千代田区の東京大神宮では職員11人が新型頃ウィルスに感染したそうですし、東京の感染者も100人を超えたということで、ちょっと恐いですね。

でも、ここまで来たらお祈りするのが筋です!お参りの内容は、今年、野の花出版社から小田原藩士の史料「吉岡由緒書」と宝永4年(1707)の富士山噴火と小田原藩の復興に関する書籍を刊行しようと思っていますので、無事に完成することと商売繁盛のお願いです。なにせ合同会社オフィス野の花は赤字経営ですから(^^;)

それからもう一つ。報徳二宮神社ではちゃんと御朱印を書いてくれるのです。紙に書かれたものではなくて、御朱印帳に書いていただけます。昨年の暮れに訪れた阿育王山阿弥陀寺(箱根町)でも御朱印帳に御住職が御朱印帳に書いてくださいました。

こちらは報徳二宮神社の御朱印です。

初詣を済ませると、帰りは常磐木門をくぐって天守を眺めてから帰ります。陽も落ちで暮れなずむ空に白亜の小田原城が美しく輝いています。復興天守ではありますが、改めて、ここの研究が私の根本なのだ、これからはそれらをきちんとまとめていくのだという想いを強くした1日となりました。

さぁて、明日から通常営業です!頑張らなければ!!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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