Twitterを見ていたら、「せんだい歴史学カフェ」というユーザーさんがいて、こんな紹介をされていました。
歴史学の「成果」ではなくて、史料の批判とか歴史学の研究者思考法とか問題関心の形成のされ方とかをわかりやすく具体的に示せないか
歴史は研究によってどんどん進展していくものなのでは、研究者ではない一般の方にはその成果を追い続けるよりも、どうやって歴史が(史実と言ってもいいかも知れませんね)明らかにされるのか、あるいは形成されるのかという思考法こそ、世の中に知っていただく価値があるのではないか
ということでした。他人の褌ですが、これをみまして、あ、自分が今度のクラウドファンディングでやりたかったのはこういうことだったんだと、すごく腑に落ちました。そうなんです、古文書を翻刻することによって、どんなことがわかるのか、そこからどんなことを考えていくのか、歴史学という学問の、それをこそ伝えたいのです。
「吉岡由緒書」は、寛永9年(1632)に初代の吉岡実疑(さねよし)が、当時播磨国明石藩主であった大久保忠職(ただもと)に仕官してから、廃藩置県後の明治5年(1872)までの実に240、9代にわたる吉岡家の記録です。吉岡家は、元禄16年(1703)年の小田原大地震、宝永4年(1707)の富士山噴火後の危機の時代に御勝手方役人を務めたり、幕末維新期には、藩主にしたがって京都の守衛に行くと禁門の変にあったり、天狗党の追討や、箱根戊辰戦争など、さまざまな体験をしていくことになります。
これらを表現するのにどう言ったらいいかなと思っていましたら、8月5日(土)の朝日新聞神奈川版で、クラウドファンディングのことを紹介していただいた際に、「重責を担った家の歩み記録」という、この上ない見出しをつけていただきました。そうなのです。正しく吉岡家が活躍するのは、小田原藩になってから、それも富士山噴火後のことですので、まさに「重責を担った家の歩み」を綴った記録なのです。
そこで、これは以前にも書きましたが、9月30日(土)の特別講座では、禁門の変に焦点をあて、「吉岡由緒書」を読むことでどんなことが明らかになるのか、それはいままで言われてきたこととどう違うのかを明らかにしたいと思います。
また、10月21日(土)の特別講座では、富士山噴火後の武士のお手当について、これも「吉岡由緒書」で探ってみたいと思います。正しく史料からどんなことがわかるのか、何が明らかになるのか、研究者はそれらをどう考えるのか、ですね。
クラウドファンディング特設サイト
https://academist-cf.com/projects/?id=50
※特別講座開催予定の19号館
投稿者プロフィール
最新の投稿
今日のつぶやき2023年10月2日一炊の夢 L188Mile お知らせ2023年9月12日秋の北條秀司展 L257Mile 今日のつぶやき2023年6月29日夏色 L281Mile 今日のつぶやき2023年6月21日あつぎ郷土博物館 L289Mile