何はともあれ…筆了です(^_^)v
『東海大学七十五年史』私の執筆分、第2章を書き終わりました。いやはやドタバタです。先月は、古文書講座に、寒川の講演に、地方史研究の問題提起に…と、もろもろある中で、どうにかやっつけちゃいました。6月もまた締切りの原稿を抱えていますし。
私が担当したのは、1970年から90年代の初頭までです。第1節はほぼ大学紛争とその後の動向についての記述でした。第2節は学園の拡大・発展です。東海大学はこの時期に九州東海大学や北海道東海大学を開校したり、付属校を大幅に増やしたりとまさに一大成長期でした。第3節は、この背景となった時代や社会についての考察です。大学紛争の終焉は、オイルショックを契機とした高度経済成長の終焉の時でもありました。ここでは世代の概観もしています。第一次ベビーブーム-団塊の世代~全共闘世代から三無主義(四無主義)-シラケ世代-モラトリアム世代、そして新人類からバブル世代へ!ですね。1980年代の半ばからバブル経済が始まって、1991年にはじけます。ところが翌92年は第二次ベビーブーム-団塊ジュニアの世代の時代で、その後は18歳人口が急減していきますから、最後のきらめき-大学バブルの時代です。そこで1986年から1992年までは「ゴールデンセブン」と呼ばれています。ということは、ゴールデンセブンが終わると、18歳人口の急減とバブルの崩壊がいっぺんにやってくるのですね。その頃に大学設置基準の規制大緩和政策が行なわれます。これを「大学設置基準の大綱化」いいます。国の主導による大学大改革の時代がやってくるのですが、それが今の大学の現実につながっていきます。増えすぎた大学、学力の低下、そして大学淘汰の時代…。高等教育の無償化とか言っている場合じゃないんですけれどね。すでに四年制大学への進学が50%を超えた現在、大学はそれには対応できないですって。
本学は1980年代の半ばからFD(大学教員の能力開発)や授業評価などの先駆的な試みをやっていたんですがね。「大学設置基準の大綱化」についてもちゃんと総括しなくちゃならないよね、ということを強く感じた原稿でした。改革は必ずしも「善」ではないですよ。
キーボードを叩けども叩けども 一向に楽にならざり じっと画面を見つめる…
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