「殺陣師段平」を観る

今日のつぶやき
「殺陣師段平」を観る

雨風がずいぶんと強くなってきました。いよいよ、台風24号が襲来するようです。愛称はチャーミーですか?可愛らしい愛称だけど、凶暴…というところでしょうか?未明には抜けてしまうようで、明日は台風一過。きっと暑いでしょうねぇ。それよりも次に発生したという台風25号、愛称コンレイが心配ですね。

さて、Twitterで殺陣についてやりとりしていて、「殺陣師段平」についてちょっと紹介してみました。今は「刀剣乱舞」などが流行っていて、刀剣に興味を持つ人、とくに「刀剣女子」が流行なのだとか。もちろん、殺陣に関する興味も大きいようです。殺陣について考える時、やはり新国劇について触れざるを得ないでしょう。

これは演劇の近代化というお話になりますが、明治になると、西洋の演劇が入ってきます。こうした中で歌舞伎は旧劇と呼ばれ、西洋劇などの新しい演劇の形式を新劇といいます。また、旧劇に対して、角藤定憲や川上音二郎らによって創始され、写実的な現代劇を演じて人気を博した大衆演劇の一派に新派があります。新派では、女性の役をやはり男性がやって至ります。女形ですね。

新国劇は、大正6(1917)年に澤田正二郎らが結成した大衆演劇の劇団で、歌舞伎と新劇の中間に位置づけられるような国民演劇をめざしました。とくに「国定忠治」や「月形半平太」などの剣劇を創案しましたが、そこでは徹底的なリアリズムにこだわります。だから、歌舞伎の殺陣が形だけになっていたのに対し、リアルな殺陣をめざし、これが「チャンバラ」呼ばれるようになるわけです。歌舞伎が刀を交えないのに対して、実際に打ち合って切りますから、チャンチャンバラバラ…と、だからチャンバラですね。

新国劇が新たな剣劇の形をめざしていた当初、殺陣師として活躍したのが「殺陣師段平」こと「市川段平」です。もともと殺陣師段平も新国劇で上演されたものでした。私が持っていたのは映画のDVDは、昭和37(1962)年公開のものでした。澤田正二郎を市川雷蔵が、段平を二代目中村鴈治郎が演じています。鴈治郎は、四代目坂田藤十郎さんや中村玉緒さんのお父さんですね。雷蔵の澤田も、鴈治郎の段平もどちらも実にいいんですねぇ、これが…。すっくとした知的な青年である澤田と、頑固親父の鴈治郎。この対比がまたよい。

何より観ていて驚いたのは、最初の殺陣が、国定忠治の小松原の決闘だったことです。最初に観たときはやっぱり漠然とみていたのですね。国定忠治を通しで観たのは、平成19(2007)年、劇団若獅子が国立劇場で公演された時でした。緒形拳さんが敵役の山形屋を演じていらっしゃいましたね。この時の小松原の決闘、国定忠治を演じた若獅子の主催者笠原章さんの殺陣が、それはそれは見事で、惚れ惚れしました。笠原さんの殺陣は本当に見事です。この小松原の決闘の殺陣を考案したのが段平だったわけです。いやなかなか再発見でした。

このところ、時代劇は下火です。男の劇団と言われた新国劇も、昭和62(1987)年に創立80周年を迎えたところで解散してしまいました。新国劇は現代劇もやっていましたが、やはり私にとってはチャンバラの魅力ですね。学生たちの時代感覚もずいぶんと弱くなっていますので、どうにかこうしたもののリアルも続いて欲しいのですけれどね。

赤城の山も今宵を限り…。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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