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稲藁の香り

10月になりましたね。ここのところ、また天気がよくて、ちょっと暑いくらいです。とはいえ、冷房を入れるほどでもないかなと思って、車の窓を開けると、ふっと稲藁の香りが…。そう、今は刈り入れの季節なのですね。

通勤の途中、ちょっと車を停めて、車窓から眺めた刈り入れの風景です。コンバインの普及で、今は稲を刈り取ったところから、藁は砕いて田んぼに撒いていきますから、こうして稲を乾している風景自体が珍しくなりました。コンバインで刈り取ったのでしょうね。藁も活用するのでしょう。

ここは厚木市内の温水という場所です。温水は「おんすい」と読むのではなくて「ぬるみず」と読みます。別に温泉が湧いているわけではありません。丹沢山系の谷戸から流れてきた水がここら辺で温(ぬる)むという意味でしょう。もっとも、江戸時代以前は低湿地だったと思われます。恩曽川(おんぞがわ)の水を制御して平野として生まれ変わったんじゃないかとぼんやりと考えています。

いずれにしても、こちらは相模平野のど真ん中で、厚木出身の農村作家和田傳さんの「鰯雲」の舞台であり、ロケ地にもなった場所です。扇千景さん主演で、戦後、次第に近代化する農村の日常を描いた物語で、中村鴈治郎さんの頑固親父もよかったですね。

せっかくですから、車を少し回して、もう少し田んぼの多いところを見にいってみました。

たわわに実った稲穂の向こうには相模大山が見えます。まさに相模平野のランドマークですね。左下は、藁を縛って裾を開いて並べた風景です。右下の写真と違って、こちらは籾を落としています。刈り入れと言ってもいろんな形があっておもしろいですね。

稲藁の香りを嗅ぐとふる里の秋を思い出します。実家に田植機が導入されたのは、確か小学校の高学年だったかと思います。「鰯雲」の時代が1950年代の後半頃のことで、福岡の片田舎では1960年代の末頃ですから、10年くらい遅れていたかと思います。当然、バインダーそしてコンバインの導入も遅くなります。実った稲を鎌で刈って担いで乾していく、それをずっとくり返していた父や母の姿を思い出します。もちろん、近所の人たちと協働作業です。それは同時に他の家の稲も刈るわけですから、労力としては同じですね。それを毎年毎年続ける。根気と体力が必要なしんどい仕事だと思います。

10年前の9月の末に亡くなった父が、最後に書いていたメモには「イネは赤くなったか」と書いてありました。「稲が赤く実る」と、確かに言っていました。

ふる里でも稲刈りは終わったでしょうか?

実家の田んぼです。先月の4日に母が亡くなった際に撮ってきました。9月29日は、父の10回目の命日でした。今ごろはあの世でふたり、刈り取ったばかりの田んぼを仲良く眺めているかも知れません。

鼻の奥につんとくる稲藁の香りを嗅ぎながら、この匂いの中で私は育ってきたのだなと、改めて想うのでした。ふる里は遠きにありて…。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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