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久しぶりの小田原 L351Mile

今日は所用があって、久しぶりに小田原まで行ってきました。昨日の雨がウソのようにあがり、風はかなり強かったのですが、空が蒼さが眩しくて、本当に気持ちのよい日でした。それにしても小田急線で小田原駅で降りると人が多くて、しかも外国の方がいっぱいでした。新型コロナウイルス(COVID-19)に対する脅威もかなり薄くなって、インバウンドが大きくなっていることを肌で感じます。城下町である小田原は歴史にしても文化にしてもまだまだ大きな可能性を秘めていると思うのです。

小田原に行っても天守までは行きませんでしたが、上の写真にあるように銅門の向こうに入道雲みたいな雲が湧き上がって、初夏を通り越して夏めいています。それにしても空の蒼さがまぶしいです。右下は学橋から馬出曲輪方面を眺めたものです。季節は明らかにツツジの季節に移りつつあるようですね。そして左下、南曲輪前の「御感(ぎょかん)の藤」が見頃だというので、行ってみたのですが、何だか小さくなったような…。動画もこちらに貼っておきます。

https://www.ihmlab.net/tweet/wp-content/uploads/2023/04/IMG_7559.mp4

せっかくですから、御感の藤の近くにある報徳二宮神社へ。それから松原神社にも行ってみました。松原神社は小田原宿の総鎮守だと言われていたのですが、なかなか行く機会がなかったので。

上と左下が報徳二宮神社です。改めて言うまでもなく、二宮金次郎(尊徳)を祀った神社ですね。右下が松原神社です。小田原にはそもそも松の木が、それも大きな松の木が多いのですが、さすがに松原神社!高い松に囲まれていました。

実は小田原に行った一つの目的は、この松原神社の近くにある「ういろう」に行くことでした。お菓子としてのういろうは名古屋が有名ですが、私は小田原のういろうの方が好きです。そもそもういろうは「外郎」と書いて、「外郎売」と言えば團十郎の歌舞伎十八番の一つですね。まだ観劇したことはないのですが…。そのういろうがここです。と言いながら、お城みたいな外観の写真を撮ることを忘れていました。

外郎はもともと薬売りが専門で、「透頂香(とうちんこう)」という薬は今でも販売されています。これとういろうと羊羮を買って発送していただきました。外郎家は北条早雲(伊勢宗瑞)に招かれて京都から移ったと言われていて、小田原市史の時代には外郎家の史料が見られるかなと思って期待していたのですが、残念ながら閲覧は叶いませんでした。

最後はこちら、小田原文学館です。左上が文学館で、右上が白秋童謡館、右下が尾崎一雄の書斎、そして右下が北條秀司碑です。この北條秀司碑「まだ尽きず 八十六の作家の 業」が建てられたのが2002年で、たぶんそれ以来のことだと思います。改めて庭を含めて美しいなと思いました。

小田原を訪れた最大の目的は、最後に小田原で北條先生の展示会ができないかということでした。NPO法人を立ち上げられた本研究センターの新田時也先生が小田原で活動されていますので、駅前のUMECOで少し打ち合わせをしてきました。とりあえず、今年の秋までにはUMECOのオープンスペースでちょっとした展示会はやろうということになりました。詳しいことがわかったら、またお知らせします。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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