続・私語との闘い

今日のつぶやき

月曜日の4限目が終わるとドッと疲れます。最後になって今日も私語との闘いだったな…。体育系の学生は元気が良くて、気は良いのだけれども、どうもね。大学の教育って何だろう。教養科目って何だろう、と、考えざるを得ないですね。注意するのも、叱るのも疲れます。それも何回もだとね。聞いてくれ~と、心は叫んでいるのですが…。だからアクティブ・ラーニング?それも違う気がするな。

テキストつくって、PowerPointでまとめて、プリントまで印刷して配布しても、それで興味を持ってもらえるわけではない。学生時代、1,000人を超える教室で教えてくれた社会学の先生は、それはおもしろくて、あ~ぁ、今日も笑ったなとみんなで話をしていたのだけれど、さて、ではどんな内容の話をしたのか、専門的なことはほとんど覚えていない。それでもおもしろかったらいいのだろうか?

いずれにしても、これまでのやり方では通じなっていることは確かですね。授業の形態なのか、話し方なのか、そうもっとおもしろい話し方をする必要があるのか。でも、本当に伝えたいことを伝えることと、それは両立するのか。結局、ずっと試行錯誤なのですね。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

『続・私語との闘い』に2件のコメント

  1. 新居元行 より:

    私も社会に出てさんざん経験していますが、人を教えるということはつくずく難しいですね。
    学生に限らず、自分にとって関心の無いことには、どうしてもモチベーションが湧かず興味が薄れるのは人の常です。
    そのうえ、授業の内容をあまり理解できなく、ついていけないと、余計興味がなくなり復習もおざなりになってしまいます。
    ただ単位を取るためだけの授業となりかねません。
    関心を持たせるためのトリガーとして、学生夫々の身近な事柄として授業を進めてはいかがでしょうか。
    例えば、学生たち夫々に本人の両親から遡り先祖を判るところまで調べ上げることを宿題とし、その中から代表的な数人、教材に取り上げられる事例があれば、それを使って授業を進めます。公開しても良さそうな古文書など出てくれば最高で教材になりますね。そして、先祖が生きた時代はどのような社会であったのかを各自が祖先になったつもりで授業を聴くことができれば関心が湧くでしょう。
    その時代をさらに詳しく知りたいというモチベーションが湧くようになればしめたものです。
    拙い提案かもしれませんが、ご参考までに。

    • 馬場弘臣 より:

      新居 元行様

      こんばんは、馬場です。ご助言ありがとうございます。どうやったら学生が興味を持ってくれるか、どうやったらイメージを持たせることができるかと言うことにいつも腐心しております。確かに自分の先祖を辿るというのはいい方法かも知れません。レポートを読むのがたいへんになりますが(^^;)時代劇も少なくなって、そもそもテレビ自体を見なくなってきた世代でもありますので、考えてみたいと思います。重ねてありがとうございました。

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