「飯盛山イタリー碑」伊大使祝辞発見 白虎隊の武士道精神共感
白虎隊の武士道精神に共感したイタリア・ローマ市が白虎隊自刃の地である飯盛山(会津若松市)に顕彰碑「飯盛山イタリー碑」を贈った際のイタリア大使の祝辞が16日までに、同市で見つかった。日本語に訳した文章で、1928(昭和3)年の建碑式で読まれたと考えられるという。
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http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181117-326160.php
>顕彰碑「飯盛山イタリー碑」が立てられたのが、昭和3年(1928)というのが気になりましたね。先に大磯町立図書館で開催した講演会「明治天皇の東幸と大磯宿-記録・記憶・顕彰-」のレジュメ(http://www.ihmlab.net/tweet/resume/10428/)にも書いていますが、大磯に次の3本の木標の立てられたのが昭和3年でした。
(1)「御駐輦所標」→旧本陣小島家=東幸の行在所(あんざいしょ)→(碑文)「明治大帝御東幸行在所記念」→その後は不明
(2)「海岸ノ標」→北下町南浜岳に建立し、その後は石碑に改修。(碑文)「明治天皇観漁記念碑」臨時帝室編修局総裁金子堅太郎揮毫→現存
(3)「神明様ノ所標」→神明神社には内侍所と鳳輦を安置したことを記念。その後は石碑に改修。(碑文)〈正面〉「明治元年十月九日御東幸之途次 内侍所御羽車奉安之所 明治元年十二月九日御還幸之途次」〈裏面〉「昭和三年明治節 大磯研究会 外町内有志」
また、この時には、旧本陣の小島才三郎が主導して『明治大帝御東幸大磯駅行在所記念』の冊子が刊行されてと配布されました。なぜ昭和3年かというと、西暦をみてもらえばわかりますように、明治維新からちょうど60年目となる「戊辰の年」だったということ、そして昭和3年11月3日を「明治節」とすることが決定していたこと、そして昭和天皇の即位大典が行なわれたことによります。この年はアニバーサリーとして重要な年だったのですね。他にもいろんな事例が出てきそうです。まさに明治維新を「記憶」するための「顕彰」の年だったのです。
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