現代の市町村は江戸時代の”村”が合併をくり返してできた! 厚木市編

今日のつぶやき
現代の市町村は江戸時代の”村”が合併をくり返してできた! 厚木市編

現在の自治体は、都道府県と市町村の二重の組織になっています。そして、現在の市町村は、江戸時代の市町村が合併をくり返してできたと述べました(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/8489/)。画期としては、明治22年(1889)の市制・町村制施行による明治の大合併、昭和38年(1963)から始まる昭和の大合併、そして平成11年(1999)年から始まる平成の大合併がありました。先には数値とグラフによる説明でしたので、もっと具体的な事例として、私の住んでいる神奈川県厚木市の事例を出してみましょう。

厚木市は、鳥が飛び立つような形をしています。この現在の厚木市の市域には、江戸時代にはの41の村がありました。それぞれの村の領主は時代によって変わりますが、近世後期には下荻野村には荻野山中藩大久保家の陣屋があり、厚木村には下野国烏山藩(栃木県烏山市)大久保家の飛び地領1万石の陣屋が置かれていました。いずれも小田原藩大久保家の分家でした。全体的には藩領の他に幕府領や旗本領が複雑に入り組んだ状況を示しています。1つの村に複数の領主が存在する”相給”の村がほとんどです。

これが明治22年(1889)には、以下のようになります。これが前年に制定された市制・町村制による合併の結果なのでした。

 

厚木だけが”町”で後はすべて”村”です。その図では1町と7か村なのですが、このうち”睦合村(むつあいむら)”とある村は、町村合併のときは三田村(さんだむら)など6か村で”組合(村)”を作っていました。この組合村とは、数か村が本来は1か村で行なう租税徴収などの行政を共同で行なうものです。組合を解消して睦合村担ったのは、戦後直後の昭和21年(1946)年のことでした。そして昭和30年(1955)年に厚木町と7か村が合併して”厚木市”となったのでした。これらの旧村は、今はそれぞれ”地区”と呼ばれています。

なお、これらの合併を村ごとに大まかにまとまると次のようになります。

ま、私が住んでいる旧戸室村のある南毛利(なんもうり)地区以外は略していますが…。こんな図は、どこの市町村でもつくることができますので、やってみたらいかがでしょう!でも、横浜市など200か村を超える年では「区」ごとでやらないと難しいかも、です。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

コメントを残す

コメントを残す

«
»
  • LINEで送る